584「終戦記念日と憲法改正論議」(8月15日(水)晴れ)

終戦記念日。記念の字をどのように書くべきか。
小泉元首相は、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバー何十人かとともに靖国神社に参拝した。安倍首相を初め閣僚は、今年は誰も行かなかったそうだ。その代わりに武道館で行われた全国戦没者追悼式に出席して挨拶するなどした。民主党の江田氏を初めとする左翼系の人々は、千鳥が淵の墓地で献花・参拝していた。それぞれが自分の信念や立場に従って行動したようである。

夜、NHKでは「考えて見ませんか?憲法9条」と言う放送が多くの視聴者も参加して行われていた。都内のどこかでは高等学校同期の何人かが靖国神社を訪れた後、やっぱり憲法9条について話し合うのだ、と言っていた。
日本人は、とにかく自分の意見を言いたがるようになったなあ、と感じる。それでいて、私自身も含めて他人の意見を聞かなくなったなあ、と感じる。提起された問題を考えて自分の意見を修正すると言うことをしなくなったなあ、と感じる。

この憲法問題にしてもそうである。憲法改正賛成か、反対か、声高に言うくせに、その議論が憲法改正そのものをのべているのか、9条だけの改正を云々しているのかさえ、忘れているような議論に良く出くわしてしまう。
前者について言うときひと、まず現行憲法が完全無欠なものなのか、という議論がされねばならぬ。象徴天皇はこれでいいのか、が一番大きな問題だろう。国民の権利ばかり求めて、義務についての記述が弱いことも問題のように思う。
9条につい言うならば、みなまず意見ありき、の人が多い。現行憲法を守ろうとする考えの人は、戦争が如何に悲惨かを訴え、9条があるおかげで日本が軍事的な間違いをしないですんでいる、とばかり説きまくる。しかし改正したほうがいい、とする人々の「中国も韓国もロシアも、回りは国益を考える国ばかりだ。それらの国が軍事力を放棄するなどと言う話は聞いた事がない。その脅威にどう耐えるのか。」と言う疑問に答えようとしない。そういった問題を一緒に考えようとしない。日米関係にしても、米国追従が間違いだ、という。しか米国追従をしないなら、日本は自分の力で自分を守らなければならないが、その場合、軍事力ナシで本当に大丈夫か、という疑問に答えようとしない。

ところが逆もそうだから困る。現行憲法を守る立場から言えば、改定されれば日本は際限なく軍事国家への道をすすむのではないか、と恐れる。アメリカに続いて世界各地に軍隊を派遣するようになるのではないか、さらに突き進んで核までもつようになるのではないか、と疑問を投げかけるのだ。その問いに対して、明快な答えを出していないように見える。そして相談に乗っていないように見える。

今日本人に必要なのは自分の意見を主張する以前に他人の意見に耳を傾ける態度、自分がもしかしたら間違っているかもしれない、と謙虚に考える態度、過去やしがらみからではなく、これからの日本にとってどうであったらいいか考える態度ではないか、と最近思うようになった。自分の立場を固定し、他人を折伏?することばかり考えている説教論者とは話したくもない・・・・。

註 ご意見をお待ちしています。
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読者の一人から、次のようなメールをいただきました。

すごく大きなテーマですので、若干感じていることを伝えます。
「国」というのは何でしょうか、私は古典的な考えかもしれませんが、国民の生命、財産を守るための役割がまず第一ではないかと思います。私は長崎の原爆でお婆さんと叔母さんを失いました。私は台湾にいましたが、お婆さんは戦時下の厳しい情勢のなか、私を見に台湾まできくれたそうです。原爆がなければと本当に残念な思いです。
でも、私は「核廃絶」ということには違和感を感じています。核で人殺しをするのも、通常兵器で人殺しをするのも程度の差はあっても同じことではないでしょうか、要するに争いごとを戦争、武力で紛争を解決するこが人間の理性で克服できるか否かではないでしょうか。もし私が今日本の宰相になったら国民の安全を考え米国との同盟関係を維持するか、核武装をするかどちらかの選ばざるを得ないと思っています。悲しいけれど、現実は人類はまだまだ発展途上の段階ではないでしょうか。