ウイキペデイアによれば、敬老の日の起原は、1947年に兵庫県多可郡野間谷村の村長が提唱して始められたのだという。最初は「としよりの日」と言った。「としより」という表現はよくないと1964年に「老人の日」と改称、66年に国民の祝日となり「敬老の日」になったのだという。日本で起こった制度のため諸外国にはない。聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日であるとか、元正天皇が養老の滝に御幸した日とかいう俗説もあるが確かではない。
9月の第三月曜日が法的に決められている。そのため9月の20日がそれにあたると、22日が秋分の日だから、これに土日が絡めば4連休になる可能性がある。するとまさに第二のゴールデンウイーク・・・・。また老人福祉法では9月15日を老人の日、同日より1週間を老人週間としている。この辺の呼称は案外複雑!
敬老の日のうやまわれるべき老人は何歳からか、というのが議論にのぼる。敬老の日の定義にはないようだが、市町村が記念品を出すのは70歳以上、国民年金は65歳以上、映画が無料になるのは60歳以上で、全体的には65-70歳以上と言う意見が圧倒的に多いようだ。その意味でこの5月に66才の誕生日を迎えた私はそろそろ適齢期。ただしバスや電車で席を譲られることはまずない。あれは80くらいにならなければだめかもしれない。なったとしても狸寝入りをされるケースも多い?
老人と認められると事がうれしいかどうか。これはなかなか疑問だ。昨日今日と息子や娘と電話で接触している。しかし誰も敬老の日のお祝いを言ってくれない。仕方がないから「まだ若く見られているんだ。」と自分自身を慰めることにしている。
足腰しっかりしているうちは、老人と一律に認める必要はないように思う。
ただこの国の問題点は本当に老人になったときに余り面倒を見てくれないことだ。
一人で生活すると自分が元気で頭がしっかりしていなければどうにもならない事がよく分かる。街に出れば交通問題、ご近所、ゴミダシなど都会で生きてゆくための義務、三度の食事、炊事、洗濯、毎日来るはがきや手紙の処理、1歩誤れば悪者にされる・・・・余程気力が充実していなければ対応できぬ。
テレビで病院をたらいまわしにされる老人の様子が放映されていた。その老人は途中から痴呆症まで併発し、挙句家族が見なければならない羽目になっているという。他人事ではない、と感じる。PPP(ピンピンコロリ)は理想だけれど、実際にはそうは行かない可能性もある。そのときに私はどうするか。息子や娘に頼りたくない。そう考えるとどうしたって保守的になる・・・・・・。
最後にこれはブラックジョーク的提案。老人に死ぬ権利を与えよ。気分良く死ぬ機械を開発せよ。ボタンを押す。素晴らしい気分になる。意識が自然に遠のいてゆく。しばらくたつと出口から骨壷に入って出てくる。そんな装置を誰か開発してくれないか。法的には自分で死を選択しているのだから問題ないと思うのだが・・・・。
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