596「「処女懐胎」を読む」(10月3日(水)曇り)

先日紹介した「マグダラのマリア」と同じ著者による「処女懐胎」を読む。
昔イギリスにいたとき、何度か教会に行った。そのとき「処女のマリアが子供を産むなんてそんな馬鹿な話があるものか。」と強く疑問をもった。すると敬虔なキリスト教徒のある夫人が「まず、キリスト教を信じなさい。遠くのことをいくら想像しても、列車に乗っていって見なければ分からないでしょう?」と言った。私はなんだか馬鹿馬鹿しくなった。この書はこの問題に歴史上描かれた絵画を元に答えようとするものである。

4つの福音書のうちマリアに関する具体的情報に踏み込んでいるのは、マタイ、ルカのみである。マタイでは、イエスの家系がダビデ王とアブラハムにさかのぼる由緒正しい家柄であるとした上で、マリアはヨセフの妻ときまったが二人がまだ一緒にならないうちに、精霊によって身重になったとしている。そして旧約聖書イザヤ書による予言を実現したとする。さらに幼児キリストにまつわる東方三博士の礼拝、エジプト逃避、ナザレへの帰還が、かってエレミヤやイザヤで言われたこと他ならない、とする。
「マリアが処女」と言う点は旧約聖書のギリシャ語訳を引用するときに、ヘブライ語の「結婚適齢期に達した若い女性」に当たる語を、ギリシャ語の「処女」に近い語に訳した事が発端。ところが時代を経ると、「神の子がこの世にもたらされるために母の肉体が必要、その母は天上の神に絶対的に従属する」として神の絶対性を主張する一方、家父長社会における男性の特権維持にも使われた。

マリアの妊娠、出産の絵画に目を向けると、耳、頭、子宮に直接に精霊が宿る様子が描かれるようになった。中には腹の出た聖母、子宮の様子(腹の中にキリストを見せる)、赤ん坊としてのイエスを取り上げる様子なども画材となった。しかし16世紀にもなって対抗宗教改革の嵐が吹き始めると「聖なるものは純粋に聖なるものとして表現されなければならぬ」とばかり、これらの直截な表現が避けられるようになった。
「無原罪のマリア」とは、マリアはその誕生から罪を免れていた、その母親であるアンナも夫との性交渉なくして娘マリアをやどした、という思想で、一般の信者たちの間で広まった。その結果、15世紀バーゼル公会議で認められるなどした。しかしこれを如何に絵画にあらわすかについてはムリリヨ、ダ・ヴィンチなど多くの画家が苦労した。

次ぎにキリストの母親がマリアであることは間違いないとして、ヨセフはどのように位置づけるべきか。マリアの処女性を証明すると同時に、イエスの家柄を由緒正しいものとするため、ヨセフを無視するわけにはいかなかった。そこでマタイなどでは身に覚えのない子を受け入れて育てた、いわば育ての親として重視している。しかしそのためか初期のマリアの妊娠、出産等の絵画では、彼はさえない男として描かれる。
しかし15世紀にもなると、商人や職人といった都市中間層の台頭ともかかわって、ヨセフは次第に復権の兆しを見せ始める。もはや無関心や不機嫌な様子を示すことなくマリアとともに神の子の誕生を祝福するようになる。17世紀にもなると、多くの「聖家族」のバリエーションが生まれ、父を中心に、いかに家族が固い信頼と深い愛情で結ばれているかを示すようになる。さらにヨセフは聖母マリアばかりか神にも並ぶ勢いで、イエスを真ん中に三者が手を取り合って喜び合う絵まで描かれるにいたる。

マリアの母親アンナについても、聖書に記述はく、2世紀の「ヤコブ原福音書」に始めて登場する。このアンナに対する信仰は6世紀頃から始まった。新約聖書にはキリストの磔刑に立ち会ったマリアは5人おり、マグダラのマリアを除く4人はアンナの子とするのである。アンナは何度か結婚し、不妊から一転して子宝に恵まれたというその経歴から、多産や豊穣、繁栄や富の象徴とみなされるようになった。その結果、アンナの娘たちの家族とともに、聖家族もあわせて描かれるようにさえなった。しかしアンナ信仰は、16世紀にはほぼ幕をおろし、マリアに裁縫を教えるなど地味な女性として描かれるようになり、逆にヨセフが聖者としての栄光を駆け上がってゆく。

最後に私自身の感想。マリアもヨセフもアンナも聖書にそれほど書かれているわけではない。その時代の要請に応じて、今までの教義と矛盾しない範囲内で次々と変遷させてきた。宗教とは所詮、そういうものかもしれない。ただ科学が進歩し、情報の流れが早くなってきた現在、昔どおりの言い伝えを教えようとするなら必ず無理が生じる、と感じる。

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