597「私のルーツは?」(9月16日(日)晴れ)

義母の一周忌が、小平霊園で行われ、参加した。
月日のたつのは早いもの、もう親の世代はほとんど残っていない。このごろになって従妹が先祖のことを知りたい、と言い出した。そんなことなら父母が生きているうちに聞いておけばよかったのだけれど、その頃は不思議にそんな風に考えなかった。だから記録は断片でしか残っていない。ご先祖を知りたいなどと言う気持ちが出てくるのはそれだけ自分自身が歳をとったからなのかもしれない。

両家にまたがる歴史を考えようとすると、少なくとも三つの家の歴史がいる。私の父の家の歴史、母と従妹の父が兄妹であるからその出身である母の家の歴史、さらに従妹の母の家であるA家の歴史。そのうちの父方、母方両家について調べだした。父方の家は、広島の小さな城持ちだったらしい。母方の家は、四国の薬問屋だったらしい。

家族制度が廃止され民主主義の時代になった。家などと言うものの観念がなくなってきている。その影響で墓の意義も薄れてきた。灰にして海にばら撒いてくれと主張するものまで出てくる世の中である。しかし人間はある年齢に成ると自分のアイデンテイテイというものを知りたくなるのではないか。自分はそもそもどういう種類の者なのか。
それがご先祖探しだが、このようなご時世では難しくなることは必定だ。男子が家を継ぐという観念が無くなってくると、ますますややこしくなってくる。私自身、自分を父方の家の人間と考えるか、それとも母方の家の人間と考えるべきか。さらに私の子供たちが作る家は父方、母方両家のどちらかと相手方の家の歴史がベースになろうから、片方はもう忘れられてしまう。もちろんこれが世代をこえて次々と繰り返されるからドンドン分からなくなってくる。その家を代表する墓もせいぜい二、三代限りのものになる。自分たちの墓を作っても、守ってくれるのはせいぜい孫の代まで。その先は結局自分たちの骨は無縁仏として処理されるのがオチだ。

ご先祖調べなんてきっと一代限りの個人の趣味なんだろう。今残っている資料を書き物にし、パソコンに入れようとしている。子達に残してやりたい気がする。しかしやがてうち捨てられてしまうような気がする。それでもやってみたい、と考えるのは一種のノスタルジアなのだろうか。

子を大切にする、というのは動物の持つ本能だ。それは子孫を残そうとする動物本来のものだ。しかし動物の場合、親を大切にする気持ちはないのではないか。もちろんそれ以前など・・・。人間の場合、道徳観念でも、多くの宗教でもまだ父母を敬え、と教えている。しかし、じいさん、ばあさんは敬うべき対象なのだろうか。ましてそれ以前のご先祖はどういう存在なのだろうか。年長者として一くくりにされてしまう対象なのだろうか
これを機会に何人かに自分のルーツを知っているか、と訪ねてみた。しかし大抵はもう分からないようだった。でもそれって何だか寂しく感じないか?

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