611「湯田中温泉の旅・・・ボケ連発」(11月23日(金)-24日(土)晴れ)

妙正寺ラジオ体操会の秋の旅行。一泊二日、湯田中温泉の旅。バスを仕立てて23日朝早くから出かける。なかなか楽しい旅であった。参加者46人、大体は昭和16年生まれ66歳の私が、若造と見られるほどの年齢の方々。

湯田中温泉は、大昔、火山活動の盛んだった志賀山のある志賀高原観光の拠点である。1350年前、天智天皇の頃、僧智由なる人物が発見し、この湯を養遐齢(ようかれい)と名づけたことに始まる、と文献にはあるそうだ。源湯は、地表近くから湧き出し、古代より温泉地として人々を癒してきた。湯田中、新湯田中、星川、穂波、安代の5つの地区が夜間瀬川沿いにならんでいる。それぞれの地区に沢山の源泉があり、一つのものとは異なる。

バスの中で、A氏が業界紙にのせた妙正寺ラジオ体操会についての記事が紹介された。A氏は、私より7歳ほど年上で地元設備会社社長、私より若く見えるくらい元気。浄土真宗で毎日あの蓮如上人の作った「お文」を唱えながら通っておられるとのことだ。「夫れ人間の浮生なる相をつらつら観ずるに凡そはかなきものはこの世の始中終幻の如くなる一期なり・・・」今ではA氏の人生観そのものなのだろう。

宿泊したホテル豊生は、他の4地区とは川を挟んで反対側、穂波地区にある比較的古い旅館。自慢の露天風呂は、もちろん天然温泉掛け流しで、ナトリウム塩化物質を含み源泉温度は74度と高い。婦人病、切り傷、皮膚病、神経痛、リュウマチに効能があるとか。

初日は小布施の北斎館と岩松院にいった。北斎(1760-1849)は80台半ば、数年間地元の豪商高井鴻山の庇護の下、数年を小布施ですごした。そのよしみで北斎館が作られ、版画などとともに10数点の肉筆画が展示されている。小野小町を描いた七小町、富士山から龍が天に昇ってゆく富士越竜、静御前と思われる女性の舞姿などが印象に残る。近くの高井鴻山記念館も見学,妖怪たちの絵が面白かった。岩松院は北斎の描いた天井絵が有名。鳳凰だそうだ。このお寺には福島正則の墓がある。豊臣秀吉の子飼いでありながら、関が原の合戦で徳川方に着き、広島城(49万8千石)の大名となった。しかし、幕府の謀略により、この信越地方(4万5千石)に改易となり、悲運を嘆きつつ64歳で没した。その五輪の塔が寺裏にある坂を上ったところの堂に安置されている。またご当地出身一茶ゆかりの池が裏庭にあり、そばには虚弱な我が子を元気付けるために作ったといわれる「やせがえる 負けるな一茶 ここにあり」の句碑がたっている。

ホテル豊生には4時過ぎについた。さっそくお風呂。露天風呂は源泉のせいか、熱いくらいであったが、肌にやさしくすべすべし良い湯であった。夕食もまずまずで大満足。カラオケなども飛び出し、普段ラジオ体操以外では付き合いのない人とも話が盛り上がった。ひとえにこの会の準備をした世話役のおかげ、と感謝する。
2日目、出発の頃にお愛嬌のハプニングがあった。4-5人で一室に寝るのだが、私の部屋の鍵がみえなくなった。その問題がやっと解決すると、今度は隣の部屋で鍵がなくなった、と騒ぎ出した。それも見つかってバスに乗ろうとすると私のカメラがない。それもやっと見つかったが、見つけ出したB氏が帰りのバスでしょげている。時計を湯殿にわすれてきたらしいが、ホテルに聞いても分からないのだと言う。みんな話は熱心に聞くが、ささやき声・・・・大分惚けてきたなあ。

帰りは善光寺だけよって帰った。1400年の歴史をもつ寺は、戦国時代以降荒廃した。しかし徳川家康に寺領1000石の寄進をうけて再興された。1707年に本堂が改築され、今年はその300年目にあたるということで、五色の幕が張られるなどしていた。高校時代に、好きな女の子に後ろにくっついて胎内くぐり、胸ときめかせたことを思い出す。今回は胎内くぐりはなし、簡単に見物し、昼飯のそばなども食べて、後は帰るだけ。
バスに乗り込むと前の席のCさんがわざわざ私にお土産を見せる。「ボケ防止お守り」・・・・あれは私にあてつけたのかなあ。

註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha