620「ウズベキスタンに行く」(12月28日(金)晴れ)

ウズベキスタンというと、まだ国名すら知らない人もいるようだ。
アフガニスタンの北、カザフスタンの南に位置し、面積 44万7400平方キロ、日本の大体、2割増し。人口 2641万人。過半がイスラム教スンニ派。一部にロシア正教徒。
アラル海に注ぐアムダリヤ川、シルダリヤ川に挟まれた中央アジアの中心。実は今世紀最大の環境破壊といわれるアラル海枯渇問題でも知られている。典型的な内陸性気候。国土の過半をキジルクム砂漠が蓋う。昼夜の温度差が激しい。7月初めから「チッラ」と呼ばれる酷暑期にはいり、8月半ばまで続く。西部では45度を越えるところもある。旅行は4−6月と9−10月がお勧め。
首都タシケントは東部にあり、気候も比較的おだやか。人口は200万人余り。テイムール朝の首都でもあった。ほかにブハラ、サマルカンドなどの都市もよく知られている。

古代から東西交易路シルクロードの中心で、オアシス都市として栄えた。8世紀にアラブ人によって征服され、イスラム化が進んだ。13世紀にモンゴル帝国によって征服され、14世紀には中央アジア西から起こったテイムール朝に支配された。その後、北からウズベク人が侵入し支配した。19世紀、ロシアに支配されるようになり、革命後はソ連邦の一員となったが、1991年に独立した。大統領はイスラム・カリモフ氏、独裁政治と聞いた。
2005年にアンデイジャンで反政府暴動が起こり、保安部隊が鎮圧したが、公式報道で170人、非公式には500人の死者をだした。ヨーロッパ諸国や国際連合などが一斉に非難したが、一切の国際的干渉を拒否した。同国は、独立後、米国よりの政策を採り、2001年に米軍の駐留を受け入れるまでになっていた。しかしこれで急速に悪化。以後、ロシアよりの政策をとるようになった。
日本からはウズベキスタン航空のタシケント直行便が週2便。ほかにアシアナ航空の韓国仁川経由がある。

同国に高等学校同期のA君が、2年間行くことになった。壮行会が新橋の飲み屋で開かれた。外務省OBのB君はじめ、35人くらいが参加した。
JICAのシニア海外派遣ボランテイアに応募し採用されたのだと言う。同期の仲間で山に登るザックの会があるが、彼はその中心人物だった。人柄が良く、仕事熱心だったから、みんなから信頼されていた。確か外語大学出身で語学に堪能。会社でもその経験を生かした仕事をしていた、と聞く。1月8日に出発で、ロシア語に鋭意取り組んでいるとか。
むこうでは、中小企業の指導を行うらしいが、実態は全く分からないとか。日本はホンネは、同国の天然ガスが狙いらしい。もっとも内陸国だからロシアに供給し、その分をロシアから分けてもらおうというつまりは資源外交の一環。
「奥さんはどうされる?」の問いに「羽根をのばしているでしょうよ。」つまり単身赴任と言うことである。挨拶したB君が「日本の地盤沈下がささやかれ始めた。もう一度世界に活躍の場をもとめるべきだ。」と力説していたが「もう、この歳になって、私だったらとてもできない。」の声が会場から聞かれた。

なんと観光旅行でウズベキスタンから帰ってきたばかり、と言うC君が立ち上がった。彼によると、タシケントは、ロシア語でなければ通じないが、地方はかなりロシア語離れが進んでいて英語でもよい。回教であるがそれほど厳しくはなく、人々はそれなりの自由を謳歌している。非常に親日的で、日本語がブームになっているという。町を歩いているとよく話しかけられるという。
写真も撮ってきたと言うことで回覧された。ブルーを特色とするモスクが大変きれいである。旅情を誘う国である。何となく私は少し遅れているトルコをイメージした。なんだか行きたくなった。もちろん観光で・・・・・。チャレンジ精神を忘れないA君の活躍と無事を祈る。

註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha