621「古代ローマの歴史」(1月3日(木) 晴れ)

TBSで新春超歴史ミステリーと銘うち、古代ローマ1000年史をやっていた。
塩野七生の「ローマ人の歴史」をベースにしており、著者も招かれていた。私は文庫本で出ている「終わりの始まり」までは読了しているが、あらためて映像にし、ポイントを説明されるとより一層理解でき、なかなか面白かった。
草創期のローマは、皇帝による政治の弊害を認め、元老院を中心とする民主政治に移行する。しかし国としてはハンニバルとの戦いに苦しめられる。ただ彼は勝ち続けながら、容易にローマに進軍せず、いたずらに時を過ごす。かれはその意味では政治ヴィジョンがなく、勝利を決定づける方法を知らなかった軍人、と言うべきか。
ローマのハンニバルに対する最終的勝利は、カルタゴの滅亡をもたらし、ローマは文字通り世界の覇権を握る。しかし属州を含めて巨大になったローマには、大きな格差が生み出され、政治が腐敗した。既得権益を守ろうとする元老院を中心とするグループと一般市民の間の対立は、新たな混乱を長い期間もたらした。

ローマに復帰し、頭角を現したシーザーは、この問題を解決すべくポンペイウス等と組み、三頭政治体制を確立する。その後、今のフランスを8年にわたり転戦。その戦術は、寛容をモットーとした。降伏した兵士を皆許し、属州の人々には教育をほどこし、ローマ化していった。しかし三頭政治はこの間に崩壊し、力をつけすぎた彼は、国家の敵として、元老院により葬り去られようとした。
やむなく属州とローマを分けるルビコン川を「賽は投げられたり」と突破して、ローマに進軍、支配権を握る。シーザーは、ローマは一人の優秀な人間が支配しなければ立ち行かぬ、と考えた。一人の強力な支配のもとに進めるのがいいのか、完全な民主政治がいいのか、これは現在でもなかなか難しい問題だ。帝政はシーザー暗殺後、オクタビアヌスによってスタートした。しかしそれは皇帝が元老院と人民会議の付託を受けた皇帝であり、初期の帝政時代の皇帝とは趣を全く異にする。
母と妻を殺した芸術家気取りのネロは最悪の皇帝であった。ローマ大火のおり、大火の原因をキリスト教徒にし、大いなる虐殺を行うなど人々の信頼を失い、最後は死を選ぶ。しかし皇帝は人民、元老院双方から付託されて政治を行っており、その地位を維持するにはそれこそスーパーマン的な才能が要求される。ネロは通常の人物であればおかしくなかったが、皇帝になったがゆえに悲劇的な生涯を送ることに成った、と言うべきか。

放送は、ポイントを絞っており、ローマ史全体と言う意味では物足りない。五賢帝時代それに続く内乱時代についてはほとんど触れられていない。・・・・といえば格好がいいのだけれど、どうやら過去BBCなどがTV映画などに撮影したものに現地を訪れたフィルムを付け加えて編集したものらしい。それゆえ映画にするようなドラマのなかったこれらの時代についてはフィルムがない、と言うことのようだ。

3世紀末のコンスタンテイヌス帝が、自身はどこまでキリスト教を信じていたのかは不明であるのに、キリスト教に改宗したのは何故か・・・・・皇帝の地位を元老院と人民会議が認めるとすると不安定だが、神が定めた、としてしまえば強くなるではないか、そのためにキリスト教徒と組んだ、と言う解釈である。しかしこれによって形の上では民主的であった古代ローマの政治体制は完全に崩壊した。いまやローマは、権力と手を握ったキリスト教会の思いのまま・・・・。この辺はもう少し突っ込んで放送して欲しかった。
この後はほとんど年代記。やがてローマは東西に分裂し、滅びへの道を歩んで行く。

こうしてローマの歴史をスキャンしてみるとそれはどのような政治形態がいいか、人々が考え、トライアンドエラ−してきたその過程であるようにも見える。それを見直すことは現在の世界、日本いづれにとっても「他山の石」となることは間違いない。ただ私的にはどんな時代にあっても、どんな制度の下であっても、自分と違う意見の存在を認めるというシーザーの考えは大切である、と改めて感じる。

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