ガールフレンドのAさんに薦められて「レンブラントの夜警」と言う映画を見に行った。
展開が速すぎて分かりにくいところがあったので、彼女はパンフレットを買った。2日ほどして、私に渡しながら「よく分かったわ。あなたも勉強したら・・・・」とのたまう。
レンブラントといえば、光の画家と理解している。
ウイキペデイアには「作品の一点(ないし複数の点)に暗闇に差し込むような光線が当てられ、その部分を強調すると同時に暗闇の部分を逆に強調する手法が特色。」とある。
同時に彼の作品と言えばよく自画像を見かける。
「名画デスクトップ壁紙美術館」と言うサイトには23歳の自画像から始まって63歳の自画像まで8枚が並んでいる。解説には「生涯に50枚とも60枚とも言われる自画像を制作した。」とある。若々しい溌剌とした自画像から、疲れた老人の自画像まで・・。
調べてみて分かった話だが、私は随分彼の作品を見ていた。エルミタージュでは「イサクの犠牲」、「ダナエ」、「放蕩息子の帰還」ロンドンナショナルギャラリーでは「ペルシャザルの酒宴」、「自画像」、ルーブルでは「バテシバ」等等・・・・。
彼は1606年レイデンという都市の中流階級の9番目の息子として生まれた。アムステルダムでピーテル=ラストマンに師事、バロック様式を学んだ後故郷で独立した。
この時期、オランダはスペインから独立を果たし、経済的繁栄を極めていた。東インド会社との交易によって、世界中から様様な品物が集まり、人々は収集熱に浮かされていた。絵画の収集も他国では考えられないほどのものであった、という。
1632年にアムステルダムに移住し「テユルブ博士の解剖学講義」で一躍名声を得た。
1634年には資産家の娘サスキアと逆玉結婚。彼女をマネージャーとして、画家として大成功。市内に大邸宅を建てた。(現在レンブラントハウス美術館)多くの弟子を抱え、数多くの作品を残した。一時期レンブラントには1000点以上の作品があると言われたが、多くはこの工房で弟子たちが描いたものと判明している。
さて問題の作品「夜警」は、別の名を「フランス・バニング・コック隊長の集団肖像画」と言い、アムステルダム市警団から依頼されたものである。
絵としては物語性の高い優秀な作品であったけれども、個人個人が平等に描かれておらず、依頼主から大変な不評を買った。依頼主から裁判を起こされたほどであった。絵に注文が激減し、事業に陰を投げかけるようになる。サスキアと結婚生活も長く続かなかった。3人の子は次々と他界し、1642年に亡くなってしまう。
ついに1656年に破産してしまう。ただ映画ではこの絵が破産の原因としているようだが、実際はそれまでの散財、映画にあるような女性関係、さらにはオランダの景気の急激な没落による資産運用の失敗があるようだ。オランダは1652年に第一次英国戦争に破れてしまったのだ。しかし破産以後も、彼はなかなか精力的で愛人ヘンドリケと息子テイトウスに支えられて創作活動を続けた。しかし1663年流行したペストでヘンドリケが、息子も1668年結婚したばかりで他界するに及び、孤独な死を待つ老人となるのである。
映画の主題は、一つにはどうして「夜警」をこのように描いたのかという謎解きである。監督クリーナウエイに寄れば、画面中央の隊長バニング・コックとその右隣にあるウイレムが男色関係にあり、本来の隊長であるハッセルブルグを事故死に見せかけて暗殺した。彼らは近々アムステルダムを訪問するイギリスの王女メアリー・スチュアートの護衛による任務によってもたらされる栄誉と利益をねらった・・・・。「筆は画家の武器だ。何でも出来る。侮辱も、告発も」と豪語するレンブラントは、市警団内部の陰謀を絵に託して告発してやろう、と考えたのだ。しかし彼らがそれを許すわけもなく・・・・。
もう一方の軸はレンブラントをめぐる3人の女性との物語である。失って分かったサスキアへの思慕、欲望、そしてヘンドリケとの安定した生活を取り戻すまでを描く。
時代の雰囲気、サスペンス的面白さに加え、レンブラントの生の苦しみが良く出ており、一見して損のない映画に思えた。みなさんもいかがですか。
後記 映画に関するサイトのほか次のサイトが参考になる。
ガールフレンドのAさんに薦められて「レンブラントの夜警」と言う映画を見に行った。
展開が速すぎて分かりにくいところがあったので、彼女はパンフレットを買った。2日ほどして、私に渡しながら「よく分かったわ。あなたも勉強したら・・・・」とのたまう。
レンブラントといえば、光の画家と理解している。
ウイキペデイアには「作品の一点(ないし複数の点)に暗闇に差し込むような光線が当てられ、その部分を強調すると同時に暗闇の部分を逆に強調する手法が特色。」とある。
同時に彼の作品と言えばよく自画像を見かける。
「名画デスクトップ壁紙美術館」と言うサイトには23歳の自画像から始まって63歳の自画像まで8枚が並んでいる。解説には「生涯に50枚とも60枚とも言われる自画像を制作した。」とある。若々しい溌剌とした自画像から、疲れた老人の自画像まで・・。
調べてみて分かった話だが、私は随分彼の作品を見ていた。エルミタージュでは「イサクの犠牲」、「ダナエ」、「放蕩息子の帰還」ロンドンナショナルギャラリーでは「ペルシャザルの酒宴」、「自画像」、ルーブルでは「バテシバ」等等・・・・。
彼は1606年レイデンという都市の中流階級の9番目の息子として生まれた。アムステルダムでピーテル=ラストマンに師事、バロック様式を学んだ後故郷で独立した。
この時期、オランダはスペインから独立を果たし、経済的繁栄を極めていた。東インド会社との交易によって、世界中から様様な品物が集まり、人々は収集熱に浮かされていた。絵画の収集も他国では考えられないほどのものであった、という。
1632年にアムステルダムに移住し「テユルブ博士の解剖学講義」で一躍名声を得た。
1634年には資産家の娘サスキアと逆玉結婚。彼女をマネージャーとして、画家として大成功。市内に大邸宅を建てた。(現在レンブラントハウス美術館)多くの弟子を抱え、数多くの作品を残した。一時期レンブラントには1000点以上の作品があると言われたが、多くはこの工房で弟子たちが描いたものと判明している。
さて問題の作品「夜警」は、別の名を「フランス・バニング・コック隊長の集団肖像画」と言い、アムステルダム市警団から依頼されたものである。
絵としては物語性の高い優秀な作品であったけれども、個人個人が平等に描かれておらず、依頼主から大変な不評を買った。依頼主から裁判を起こされたほどであった。絵に注文が激減し、事業に陰を投げかけるようになる。サスキアと結婚生活も長く続かなかった。3人の子は次々と他界し、1642年に亡くなってしまう。
ついに1656年に破産してしまう。ただ映画ではこの絵が破産の原因としているようだが、実際はそれまでの散財、映画にあるような女性関係、さらにはオランダの景気の急激な没落による資産運用の失敗があるようだ。オランダは1652年に第一次英国戦争に破れてしまったのだ。しかし破産以後も、彼はなかなか精力的で愛人ヘンドリケと息子テイトウスに支えられて創作活動を続けた。しかし1663年流行したペストでヘンドリケが、息子も1668年結婚したばかりで他界するに及び、孤独な死を待つ老人となるのである。
映画の主題は、一つにはどうして「夜警」をこのように描いたのかという謎解きである。監督クリーナウエイに寄れば、画面中央の隊長バニング・コックとその右隣にあるウイレムが男色関係にあり、本来の隊長であるハッセルブルグを事故死に見せかけて暗殺した。彼らは近々アムステルダムを訪問するイギリスの王女メアリー・スチュアートの護衛による任務によってもたらされる栄誉と利益をねらった・・・・。「筆は画家の武器だ。何でも出来る。侮辱も、告発も」と豪語するレンブラントは、市警団内部の陰謀を絵に託して告発してやろう、と考えたのだ。しかし彼らがそれを許すわけもなく・・・・。
もう一方の軸はレンブラントをめぐる3人の女性との物語である。失って分かったサスキアへの思慕、欲望、そしてヘンドリケとの安定した生活を取り戻すまでを描く。
時代の雰囲気、サスペンス的面白さに加え、レンブラントの生の苦しみが良く出ており、一見して損のない映画に思えた。みなさんもいかがですか。
註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha
(後記)レンブラントについては次のサイトが参考になります。
http://www.salvastyle.com/index.html