638「四国半周レンタカー旅行」(3月1日(土)晴れ)

毎年2月から3月にかけて、日本国内を旅行している。しかし余り運転がうまいとは言えぬ私、雪道はいやだから、レンタカーで行く場合には南の方に限定される。沖縄、九州などにはすでに行ったから四国、それも1日150キロくらいまでにしようと考え、半分だけ回ることにした。高知、足摺岬、宇和島、道後温泉。昔仕事で何回か松山には行った事があるがそのほかは始めての訪問地。

高知空港には25日午前10時頃ついた。レンタカーで桂浜まで行き、海岸と水族館と坂本龍馬記念館をみた。来る前にホエールウオッチングを考えた。鰯クジラに似ていることが名前の由来となったニタリクジラの潮吹く様子が見られるとか。しかし1日2回の出船、4時間もかかるということであきらめた。
三翠園というホテルに泊まった。ホテルの敷地は、大政奉還に尽力した山内豊信(容堂)が家臣七人の屋敷地を召し上げて設けた下屋敷。大門と長屋が残っており、長屋には下級藩士や庶民の生活用具、和船の模型、風俗絵巻などが並ぶ。二階には土佐の生んだ著名人の写真展示。吉田茂もあった。
土佐藩の中心、高知城は、1601年、土佐に入国した山内一豊が築城を始め、2年後に本丸、二の丸が完成して入城した。1727年にほとんど焼失したが、53年に再建。250年以上経った天守、追手門などの建造物とともに重要文化財に指定されている。天辺に登ると風が実にさわやか。市内一望。城内には、NHK大河ドラマ「功名が辻」の仲間ゆきえが着たうちかけが展示してあった。調度品がなかなか素晴らしい。

二日目は雨であった。その中を足摺岬まで走らせた。岬に到着する手前に足摺スカイラインと言う山の中を切り開いた道路があるがなかなか苦労した。足摺岬はジョン万次郎の出身地で、公園に碑が立っている。

27日は快晴、竜串海岸、見残し海岸を楽しんだ後、宇和島に泊まった。この町に泊まる気になったのは幕末には伊達宗城公が出ていろいろ活躍したと司馬遼太郎の作品で読んだ事が大きい。町の中央に公園にある宇和島城は三層の天守閣を残すのみ。

28日に市内の宇和島市立伊達博物館に行ったときの話。昔、博物館周辺はみな伊達様の土地で、お殿様も普段は山の上でなくこちらに住んでいたそうだ。入り口に伊達宗城の像。賢候の聞こえ高く、幕末政局多端に際しては松平慶永、山内豊信、島津斉彬とともに大いに活躍した。安政の大獄で引退させられたが、後を継いだ宗徳の黒幕として活躍した。

最後のお宿は道後温泉。日本最古の湯だそうだが、あっちへ行ってもこっちへ行っても「坊ちゃん」、マドンナ,山嵐、赤シャツまで宣伝しまくっている。その夏目漱石がほめた道後温泉本館は、約100年前に建築された。木造三層楼の建物は重要文化財。

東京に帰る日の朝、伊予松山藩・松山城を見物。創設者は、賎ヶ岳七本槍の一人として武勲、朝鮮戦役で活躍、しかし関が原の合戦では徳川方につき戦功を認められた加藤嘉明である。
多くの門と石壁と掘りに囲まれ、攻略の極めて難しい城にしたが、会津に転封されてしまった。その後一時期蒲生氏が入ったが、お家が断絶、1635年に桑名城主松平定行が15万石に封じられ、以後親藩の居城として14代世襲し、明治維新にいたった。
維新のとき、松山藩の勝成・定昭は、鳥羽伏見の戦い等で幕府側についたため、常信寺に蟄居させられ、切腹させられるところだった。しかし恩に感じた市民が15万両の賠償金を払い、赦してもらった。旧姓に復した久松家は、今でも愛媛では絶対的に強い。山の反対側に下りると麓近くに二の丸史跡庭園。二の丸跡の敷地1.6haを史跡庭園として整備し、平成4年に開園した。宇和島と同じで、かって城主は普段は城に住まず、里に近いここに住んでいたとか。

駆け足の旅であったが、このコースは明治維新に興味のある人には特にお勧め、と思った。世の中が大きく変わったあのころを志士やお殿様はどう身を処したか・・・・それは今をいきる我々にも参考になるのではないだろうか。

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