古本屋でこの本を見つけ、読んでみるとなかなかいい文章,漢字を少し勉強しており、その助けにもなるかと考えた。カバー裏に「雅俗折衷の絢爛たる文体で明治の世相を大きく截断した本編は,紅葉文学の集大成であり、明治文学を代表する一大ロマンである。」
解説に従えば、尾崎紅葉は1868年12月江戸芝中門前町で生まれた。雅号は芝の紅葉山にちなむ。幼くして母を失い、芝神明町の母の実家漢方医荒木舜庵方で養育された。府立二中学(後の一中、日比谷高校)を中退、岡鹿門、石川鴻斎に漢学・漢詩文を学んだ後、明治16年東京大学予備門入学、2年後には山田美妙等と硯友社を起こし、「我楽多文庫」を発刊した。明治22年に読売新聞社入社、24年に「二人比丘尼色懺悔」を出世作に文壇に登場した。「金色夜叉」は明治30年から35年にわたって断続的に読売新聞に発表された。その文学的才能によって広津柳浪、川上眉山を有する硯友社の頭目と仰がれ、門下には泉鏡花、徳田秋声、小栗風葉等を排出。しかし明治36年、37歳で永眠した。
「間貫一は、両親を失い、父親の世話になったという鴫沢家に世話になっていた。その一人娘宮と親しく、結婚を約束していた。しかし美貌の宮をカルタ会で見初めた銀行家の息子富山唯継は、宮に求婚し、その代償として間貫一を外遊させることを誓う。しか熱海の海岸で、宮の心が富山に傾いたと知った貫一は絶望し、姿をくらます。
田鶴見子爵は、家令畦柳にその資産を高利貸し鰐淵直行に貸し出させて運用している。間貫一は、その鰐淵の手代になっていたのである。その貫一に同じ悪徳高利貸しで赤樫権三郎の妻満枝が好意を寄せている。田鶴見子爵邸に招かれていた宮は、偶然に間貫一と出会い、自分の結婚を悔い、思いを募らせる。一方貫一は、学生時代の友人と再会すると、そのうちの一人遊佐が、高利貸しに苦しむ窮状を訴えるが取り合わない。多くの債務者から怨まれ、ついにある夜襲われて大怪我をする。
間が襲われたことを知って鰐淵の息子直道は、父に非道な金貸し業を辞めるよう説得するが聞かない。貫一の病床には満枝が足しげく訪れる。鰐淵家に老女が押しかけ毎晩悪態をつき始める。やがてそれがやんだと思われるころ鰐淵邸から出火、全焼、鰐淵夫婦も命を落とす。息子を借金苦で失ったあの老女の付火であった。」
以上が正編で以下続編、続々篇、新続編と続く。
「宮は、貫一の旧友荒尾を通じて謝罪しようとするが、荒尾が断る。荒尾はそれでも貫一に会うが、寛一はかたくなに拒否する。貫一は宮からの手紙をすべて捨てている。宮と富山の夫婦関係は冷え切り、富山はよそに女を拵えた様子。貫一は船橋に行く途中、あの鰐淵邸放火の原因になった男女の関係を聞かされ、心が次第に萎えて行く。貫一の下に宮が訪れ、さらに満枝が訪れる事が重なり、ついに満枝は刃をとりだして宮を殺そうとするが、逆に殺されてしまう。宮は貫一に認められぬとあきらめ、刃に身を投げるなどして自殺を図る。死体となった宮に貫一は「赦す、赦す!」と叫ぶがもう遅い。
貫一は、今では宮を赦さなかったことを後悔し悶々する。静養に塩原温泉に行ったところ、心中を図ろうとしていた男女に出くわす。狭山なる男は、店の金を使い込み、女は借金ゆえに好かぬ男に身請けされよ、と言われていた。女の相手があの富山唯継と知り、貫一は彼らの借金をすべて払ってやると申し出る。
宮の死に際しての手紙を、寛一が読む。狭山夫妻は貫一の下に住むようになる。最後に実は宮は死んでおらず、現在の気持ちを貫一に書き送る・・・・・。」
最後に狭山の妻が「女の惚れるにについて見惚れに、気惚れに、底惚れとこう三様あって・・・・」と述べるくだりが面白い。「何でも二十三四からに成らなくては、心底から惚れるということはないようで・・・・。」男にも当てはまるかも・・・。
作者は、この物語はどのような結末にしようと考えていたのか。親友荒尾の借金を全て返してやっただの、改心して困っている人たちに金をばら撒いた結果、無一文になっただの、色々解説に書いてある。想像するだけで楽しい。
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