647「アパートの気になるあの子」(4月1日(火)晴れ)

去年の夏のことである。私のアパートの空き室募集に不動産屋から回ってきた申込書。次のように書いてあった。
西条あかね 20歳 **病院勤務 年収 260万 本籍 石川県穴水市
私は一も二もなく承諾。引っ越してきたらしい日に現場を覗くと、細面のなかなか気品のある顔をした美人、身長は160センチほどあろうか、髪をアップにしている。二の腕と、ホットパンツから飛び出した白い脚がまぶしい。大家であると断り、私の居場所、連絡方法、ゴミの出し方等ポイントをコメント。「よい駐車場を知りませんか。」というから教えた。家の前に止めてあったあの赤いフィッツが彼女の車なのだろうか。あの車は、もう覚えた。なぜと言って、番号が私の誕生日と同じなのである。ただ彼女は、挨拶に行くのに遅れた、と菓子折りをくれたが、どうも発音がおかしい?

一ヶ月くらい経って、ルミネ2階のジュエリーショップで彼女をみつけた。
目が合ったので挨拶をしたのだが、閑だったこともあって、お茶に誘ったところ、ついてきた。普段は高いから、まず入らない千疋屋!生活に少しづつなれてきたが、何せ、東京は始めてである、戸惑う事が多い、特に人が多く、ビルが立派なのにはびっくりする、というようなことを言っていた。しきりにこちら事を聞きたがるから、十数年前に妻が亡くなって一人暮らしであるなど、別に隠すこともなく話した。ほかに世間話などして分かれたが、気になって、「あなたは本当に石川県なんですか。」と聞くと「そうですよ。」と大きめの声で答えた。何かあわてている様子に見えた。
それから彼女は、出会うたびに私に積極的に声をかけてくる。そして福田内閣のこと、皇室のこと、色々起こる事件のこと等こまごま聞いてくるのである。生き生きとして彼女は何か嬉しそうに見えた。私ももちろん悪い気はしないから積極的に教えた。

正月頃、六本木タワーを訪れた後、元麻布のあたりを友人と散歩しているときに信号待ちをしている車にびっくりした。あのフィッツ,しかも運転しているのは間違いなく彼女、さらに少し様子を見ていると車は、中国大使館の方角に消えて行ったのである。

半月ほど前、ラジオ体操から帰ると、アパートの自転車置き場に彼女を見つけた。涙を流している。「どうしました?」と声をかけると、彼女の部屋に招じ入れられた。
ベッドが一つと小さなテーブル。テーブルに投げ出された新聞・・・・チベットの暴動を伝え、男が商店のシャッターを壊している写真が大きく載っている。
「申し訳ありません。私、嘘をついていました。私は中国出身です。」あっけにとられていると「もう少しで、このアパートも出て行きますから、内緒にしてください。」という。
「これ、私の兄なんです。写真が出たからには、きっと警察に捕まったに違いない、もう生きてあうことはできないかもしれません。」と泣き崩れるのである。

彼女は、名前を金玉姫、22歳、新疆ウイグルの出身で5年前に中国をでてインドにわたった。ウイグルには、かって王様がいたそうで、彼女はそのお姫様なのだそうだ。このチベット暴動に見るように、中国では少数民族に対する締め付けが厳しい。ウイグル人民は、もちろん独立し、昔のウイグルを取り返したいと考えている。しかしその前にまずチベット独立、私は「チベット独立運動をこの日本で盛り上げるために、ダライ・ラマ14世の命に従ってやってきた。」しかし「こんな状況になったので、インドに戻るよう本部から指令が来た」のだそうだ。
「もう少し日本にいたかった・・・。これを親切にしていただいた御礼に差し上げます。」と潤んだ瞳で私を見つめ、青い翡翠でできた小さな香炉をくれた。それなりに高価なもののようだ。

二日後郵便受けに彼女の部屋の鍵が返還されていた。様子を窺うと、もう、もぬけの殻であった。不動産屋に聞いてみたが、連絡は来ていないとのこと・・・・・。何か掌中の玉がなくなったように感じ、私はまだ次の客を募集するのをためらっている。

・・・この話がどこまで本当かって?本当ですよ。しかし日記の日付には注意する必要があるかもしれない。またくれぐれも彼女の中国名を訓読みしたりしないように・・・・。

註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha

読者からこのエッセイについて次のようなメールをいただきました。

・・・今回の話で思い出すのは、我が家の上に住んでいた方のことで(我が家は3階建てのアパートの2階)
私は職業柄、夜遅くに帰る事が多かったのですが、
そんな深夜に明かりがついているのがカーテン越しにわかり、
この夜更かしとは、一体どういう家庭なのかと気になっていました。

3世代家庭ですが、あまり近所付き合いをされない方で、
そちらの孫と我が家の子供たちの年齢が近かったもので、
そこからの情報でお祖父様が中国人だということはわかりました。

神戸はなんといっても国際都市ですので、
国際結婚なんてよくあることだというぐらいに思っていたのですが、
一つだけ気になることがあったのです。
私は、これも職業上、ラジオの深夜放送をよく聴いていたのですが、
なぜか夜中の2時を過ぎると、必ずノイズが入り始めるのです。
そして、その時、決まって、上の家で人が起きている気配が伝わってくるのです。
こういうノイズはまさに電波管理局がいう「通信機からの干渉」ですので、
妻に「上の家は本国と連絡を取る使命をおびているに違いない」と
冗談のように話していました。

事態が一変したのは、上の家のお祖母さんが急死され、
近所のよしみという気分で葬式に参列した時、
他の参列者から、なんともいえない、部外者を排除したいような冷たい視線を受け、
(何故か、うちのアパートからの参列者は私だけでした)
翌日、そのお祖父さんと息子さんが、
なんと、参列御礼に我が家にわざわざお出でになったのですが、
(息子さんとは初対面)その息子さんの視線の鋭かったこと!
まるで「お前はなにものか?!」と問われている気分でした。
そして、一週間もしないうちの、そのご家庭は引っ越されてしまいました。

また別の読者から聞いた話。

「私はウイグル人の友人がいる。
彼が言うには今回のチベット暴動で推定がつくようにウイグル人もずいぶんいじめられている。
よい職業に就けない、差別を受けるなどだ。
そのため多くのウイグル人は日本にあこがれている。
日本語教育は大連あたりで受けるがみな習得は早い。
学校はウイグル語の学校も中国語の学校もあるが、多くの親は子供の将来を考えて中国語を学ばせる。
日本にいるウイグル人同士の集まりもあったが、目をつけられ、仕方なく解散した。」
との話を聞きびっくりしました。ただ読者氏は
「あなたの話がインチキだということは金玉姫の名で気がついた。ウイグル人は中国政府から7字の名前を与えられる。あのような名前はない。」