チベット問題の勃発は、聖火リレーをすっかりおかしなことにしてしまった。
サンフランシスコ:聖火は見知らぬ倉庫に入って行きそのまま消えてしまった。次ぎに現れたのは寂しいどこか路地と思えば、次は堂々と高速道路の上、最後は空港へ行ってしまった。チベット問題で抗議をしようとした人たちも、一目平和の祭典の象徴の聖火を見ようとした人もみな肩透かし、報道陣だって放送のしようがない・・・・・サンフランシスコの五輪聖火リレーの様子であった。
友人からのメール:産経新聞によるとパリで行われた聖火リレーはランナーを青い服の集団が取り囲み、人権団体の人間を突き飛ばしながら進んだそうだ。この青い服の集団は中国の警察の選抜部隊である由。いかにも対応が中国らしい。パリでは顰蹙をかっているのだそうだ。この友人はさらに「聖火リレーなど出来なければ出来ないでいい。そこで妙な暴力的な対応をする方がかえっておかしい。」と書いてきた。
ロンドンでは不測の事態を予測して大半を車で移動してしまった。その際、何度も安全上の理由から聖火を消してしまった。・・・・聖火と言うのは最初から最後まで火をつないで行くことにたった一つの意味があったのではないか。途中で消えた事が世界的に報道されたことで今更意味があるのだろうか。
それにしてもチベット人民はともかく欧米人はお節介なものだ。自分の意見を押し付けなくてはすまぬ強情さは、キリスト教の布教の精神に繋がるのだろうか。私はあの反捕鯨運動を展開する連中のことを重ね合わせながら見ていた。
ダライ・ラマがアメリカによる途中日本に立ち寄った。
「私たちは独立を望んでいない。しかし中国とは異なった文化を持っており、それを尊重して欲しい。チベットの自治を認めて欲しい。中国のオリンピックを我々は支持する。政治とスポーツは別で、暴力沙汰の抗議はいけない。中国は私を、分裂を図る悪魔として、私をワルモノにしようとしているが、それは間違っている」
と言うようなことを言っていた。主張はもっともに聞こえる。それにチベットの心を代表している言葉でもあるように受け取れる。
TV番組を見ていると、中国も少数民族問題をないがしろにしているわけではない。鉄道をひく、寺院を保護する、教育に力を入れる、など多くの努力をしているようだ。しかしダライ・ラマの肖像を飾ることを禁止するなど自由な活動を赦さない。その根本にはチベット人民を見下す中国人民の態度があるのだろうか。
ただダライ・ラマの言う事がもっともでも、中国内での自治にしても認めてしまったら、他の民族も同じことを言い出し、収拾がつかなくなる、と当局は考えているのだろう。あのエイプリルフールで書いた冗談で、実はウイグル人などにも中国から自由になりたい、という感情があるのだ、と知ったばかりではないか。
「聖火リレーなどやめてしまえ。」という友人の意見に賛成する。
ロンドンで二度も三度も消え、サンフランシスコでは雲隠れした聖火にどのような意味があるというのだろうか。
日本は今月の26日頃長野で走ることになっている。善光寺を基点に長野市内を回るらしい。中国からはパリで活躍した?青い服集団を2人送る、と申し入れてきたそうだ。聖火が走るということは、ある意味では日本にとっても晴れの舞台だ。中国人など来てほしくない!日本は日本でやればいい。自信がなければ成田の倉庫に入れっぱなしにし、次の国に送り出してしまえばいい!
追記 (4月18日) 長野の善光寺が、オリンピック聖火の出発点になることを辞退したそうだ。同じ仏教徒としてチベットの問題を見ていられない、と言うのだが、その実は安全上の理由だろう。しかしこれを報道機関が同情的にとりあげているので、おや、と思った。昨年、日教組の大会を一旦引き受けながら断った品川のホテルについては「これで法治国家か?」くらいに、激しく非難したくせに・・・・・。
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読者から次のようなメールをいただきました。
聖火の問題を別の面から考えてみました。
暇だから色々考えます。
昨日知り合いの中国留学生に聞きましたところ、その娘も長野に行って来たそうです。
なぜかというと留学生の間に会費2000円で長野往復のバス旅行が出来ると募集があったのだそうです。そういうことで国家的な大動員がかかり3000人を超える人間が集まったのですね。ちなみにその娘はバスの中でチベットなんか独立させれば
良いじゃないかと発言して睨まれたと言ってました。
そういうことで動員をかける国家、動員に応じる人間、そういうのを愛国心と言うのか幼少よりの教育の成果というのかは良くわかりません。ゆがんだ全体主義と見る見かたもあります。
ただ、仮にわが国が有ることで諸外国から非難されているときに、わが国の留学生がそういう動員に
応じるかどうかを考えてみました。多分会費どころか多額の日当をはらってもそんなに集まらないのではないかと思います。これが愛国心の欠如とみるか、個人主義の徹底の勝利とみるか戦後教育の荒廃とみるか、さまざまな見方が出来ると思います。それでは米国人だったらどうか、ユダヤ人だったらどうかと色々考えてみました。それからわが国ではどんな時代の人なら集まるのか、江戸時代の人ならどうか、明治時代の人ならどうか、大正、昭和の初期ならどうか、司馬遼太郎にでも聞いてみたいですね。
それに区役所の戸籍係みたいなわが国の現在の首相にもきいてみたいと思いました。
この点貴兄はどう思われますか。