「みどもが、後に三浦按針殿となったウィリアム・アダムス航海長とともに、日本の豊後なるところに漂着したのは、1600年4月のことでありました。
その後、時の将軍家康殿に信任され、江戸丸の内に邸を賜り、日本人妻まで得ました。お許しを得て、朱印船貿易等もいたしましたが、望郷の念やみがたく、バタビアに渡って、帰国交渉を行おうとしました。しかし果たせなかった。日本へ再び帰還中、インドシナで座礁し、命を落とすことになったのは、みどもが天命といたすところか。」
と、いうような文書が発見されたかどうかは知らない。しかし著者でオランダ船リーフデ号航海士ヤン・ヨーステンが八重洲の地名の語源になったことだけは確かなようだ。丸の内二丁目ビルの一角に、1980年オランダのファン・アフト首相が来日した際に寄贈された帆船の模型が展示されている。
四月に行われる「いちに歩こう会」の下見、今日は男4人、女5人が参加した。いつもは荻窪や三鷹を中心にするけれども、今日は東京駅周辺を歩こうというのである。
丸ビルあたりはすっかり変わってしまった。その新しい丸ビル・・・新丸ビルというと別のビルになるからややこしい・・・・の一角に旧丸ビルに使われていた江戸の風景を表したすりガラス、基礎に使われた長さ15mの松の杭、飾り窓などが展示されている。ビルを抜けると日動会館ビル前にはえびす様。基礎部分にある隙間を通り抜けられればお金に困らないとか・・・もちろんスリム?私は大丈夫だったけれど。
お堀端に沿って少し歩き、大手門を抜けると皇居東御苑。旧江戸城本丸と二の丸を中心とする公園。21万m2。昭和43年から一般公開。こんなに便利なところにあって入場無料、日本的なものが味わえるとあって特に外人観光客に人気のスポット。二の丸庭園で池の中を飛び石伝いに歩くとヒタキの類らしい珍しい鳥、松や橡の木立、そしてもう満開になった梅の花、しばしゆったりした気分になる。これで緋毛氈でも敷いた縁台があれば、座って「おーい、お茶」といいたいところだが、諏訪の茶屋は立ち入り禁止。何しろ奉仕活動とて沢山のおばさんがきていることを思えばそんな贅沢は赦されぬ。
天守閣跡に登ると、これから向う武道館の緑の屋根。下りて少し歩けば「狼藉者でござる、おであい召されい!」あの江戸城「松の廊下」の跡地。富士見台などもあってこの辺はゆったりとした芝生庭園。最後に大正時代の皇室慶事の結構な品物を展示した三の丸尚蔵館も見て表に出る。しかしあそこで菊の御紋章のついた財布を買って、彼女の前でおもむろに取り出したら迫力があるか、どうか。
お堀端を再び行くと和気清麻呂像。北の丸公園をぬけると大山巌像、品川弥二郎像など。こうして見ると、戦後日本は全く新しくなった、といいながらラジカルなことはしない国民のようだ。現代の視点から見て問題のある人もない人も等しく神様のように飾られ、どこかの国のように引き倒されたりすることはない。
皇居一周マラソンに熱をあげているらしい人たちがどんどん追い抜いてゆく。もうあんなに早く走れないなあ。いつの間にか靖国神社、千鳥が淵戦没者慰霊地、最高裁判所、社民党本部、国会議事堂・・・・なんとなく生臭い風が吹いてきたかどうか。日本国旗と一緒にスロベニアの国旗が飾られている。今来ているのだろうか。もうすぐ来る桜の盛りは、素晴らしいだろう、と思う。桜田門あたりからみるお堀は最高とか。「ここが東京二重橋、一緒に写真をとりましょうね」「君の名はと尋ねし人の数寄屋橋」そんなものをドンドン過ぎてふりだしに。ようやく自然食バイキングの昼食。
その後、最後に幹事がいい場所を紹介してくれた。パソナO2。太陽の届かない地下で植物栽培を行う都市空間。都会の人に農業を知ってもらい、できれば農村で働いてもらいたいとの願いを込めた実験空間。蛍光灯や発光ダイオードに照らされてトマトが大きな実をつけていた。試食したパセリの味の新鮮なこと。「でも採算なんか考えたらとてもあわないんでしょう?」と参加者の一人。それはそうだろうけれど・・・・。うららかな日に、江戸の香残る東京と、新しい東京を同時に見聞したなかなか楽しい一日でした。
後記 本番は4月12日。天候に恵まれ、45人が参加し、本当に楽しい1日になった。私はその後もう一度ガールフレンドのAさんとこのコースを歩いた。新しい東京、あるいは江戸が再発見できると感じるコースである。
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