朝、台所でトースターの電源を入れてまもなくブレーカが飛んでしまった。
電源盤の下の列の中央のスイッチを落としてもう一度つけるとブレーカが飛ばなくなった。東京電力に電話すると、7時半頃来てくれた。通電状況をチェックし、炊飯器が漏電気味であることがわかった。流しのあたりがいつも濡れているのが原因だろう、という。こんなことは自分で発見できねばいけない、と感じる。
鏡にうつった顔を見る。しみがところどころにできた老いの顔だ。
髪の毛はまだかなり黒い。友人から、年齢にしては若く見える、といわれる。
しかし床屋が髪を刈ってくれた後、後ろから鏡を当てこれでよろしいか、と頭の天辺を見せてくれるとき、その薄さに気がつく。
目もまだいい。しかし最近は小さな字が読みにくくなった。来年自動車の免許書き換えがあるが裸眼でゆけるかどうか。喫茶店で窓際の席に着く、ということはいつか書いたけれど、それでも追いつかぬ。そのうち老眼鏡の厄介になるかも知れぬ。
歯は昨日診てもらった。「落ち着いている」と医者は言う。しかし健在の歯は前の数本だけで、奥の方はかぶせ物などで対応するようになっている。歯槽膿漏もどれだけかわからぬが進行しているようである。「もう少しよく磨いてください。」とまた言われた。
喉仏のところに皺ができている。老いは一番先にここにくる、とはよく言ったものだ。
腕や手は力は劣ってきたけれどもまだ大丈夫だ。腰など痛めてはたまらぬから重いものは持たないようにしている。腰はまだどうにか大丈夫。
右手の親指の根元に罅が入っているらしい。一昨年弟と飲んで酔った帰りに家の庭で転んだのが原因。そのときすぐに医者に行けばよかったのだが、そのままにした。
足は膝がどうも心配だ。ここ2,3日眠るときに足を伸ばした状態にすると右膝が痛く感じる。曲げると痛みがなくなるから不思議だ。しかしこんな状態だからよく寝られない。
それでも血圧は正常、内臓にも余り異常がなさそうなのが救い。
腹の周りは85は超えているから、厚生省の言うメタボリックが近いのかも知れぬ。しかしそれほど心配はしていない。自分の体のことは自分が一番わかる、が正しくないか?
ただ不測の事態でいつ倒れない、とも言えない。緊急時の連絡先を書いた迷子札を携帯しなければならぬ年齢なのかもしれない。
性欲は・・・・・うーん。ただ自分に能力がなくなってくるとやたらにほしがる、というのは事実かもしれない。年寄りの助べえはそこから始まる?。
肝心の頭の方はどうだ?こればかりは自分自身のものがよくわからない。しかし物忘れが目立つようになり、新しいことの記憶力減退していることは事実のようだ。
婿の娘婿のB君が言っていた。「私の父は元気だが、それでも65歳を過ぎるとめっきり老け込んだように見えてきた。」
息子や娘たちはそれぞれの人生を歩んでいる。彼らが女親のいない私のところなど尋ねてくれることは稀だ。それでいいのかもしれないが・・・。
自作スパゲッテイの昼食を終えた後、荻窪にでる。
この前陸上競技の審判をするには必要、ということで濃紺のジャケットを買った。
それを着ると不思議なことに気がついた。なんとなく若返った気分になるのだ。現役時代を思い出すのかもしれない。
スポーツクラブに行き、後は喫茶店で本など読んですごす。漢字の勉強もしている。いまさらこんな難しい漢字を覚えても役に立たぬことは知っている。その努力する過程を楽しんでいる、つまり趣味というほかはない。
夜、ガールフレンドのAさんが3日ほど早いけれども誕生日を祝ってくれた。レストラン橋本。ここは比較的味がよく、値段もリーズナブルに見える。一本のワインですっかり酔っ払う、弱くなったものだ。それでも十分に楽しいひと時。
「この夏、南イタリアに行きたいけれど、あそこは物騒だそうで一人旅はどうも自信がない。」Aさんは私より2歳若いけれど、相槌をうっていた。
67歳、100歳まで生きるとしたって、もう人生の3分の2は無くなってしまった。誕生日が来て「また一つ大きくなった。」と喜ぶ年齢と「また一つ人生の終わりに近づいた」と感じる分岐点は何歳くらいなのだろうか。
私と同じくらいの年齢のみなさんは、お誕生日をどういう思いで迎えられますか?
註 ご意見をお待ちしています。
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読者からメールをいただきました。
小生の好きな詩に 趙孟?の老態 というのがあります。
黒花眼に飛び 雪ひげに生ず-----
肉を食らいて まず歯をえぐる---
つまり
飛蚊症になり目はちかちかして、ひげは真っ白----
肉を食べると歯に挟まり、爪楊枝を必要とする----
など老いの様を子ことこまかく述べていて、
眼にはいつも涙をためているなどといっています。
半死半生の状態をそれでも客観的に述べているところがすきなのです。
なんとなくそれを思い出しました。