ある読者から次のようなメールをもらった。
「週刊誌で法務大臣のことを死神と言っていますね。法律ではもともと死刑確定後ある期間内に執行しなければいけないのでしょう。法的には歴代がむしろ違反だったのでしょう。この問題についても、機会がありましたら一度論評してください。」
法律的な話は別にして、死刑制度そのものについて考えてみたい。私は、死刑制度そのものは、当然のことと考える。
とは言いながら色々みなの意見もあろうかとウエブサイトの検索を行う。
あるサイトに死刑の廃止理由に次の三つを上げていた。
1.冤罪(無実)の可能性。 確かにそういった可能性がないではない。しかしそのような可能性があっても物事を決定し、実行するのが人間社会ではないか。太平洋戦争の決定が誤りであった、といって取り返しのつくものではない。
2、犯罪抑止力になっていない なっているかどうかは、統計の取り方、解釈の相違によって異なるだろう。しかしそれより犯罪抑止力になるか否かだけが死刑の是非の論拠にするのはおかしい。人間の作る社会で、悪いことをしたものに対する罪は、その社会の納得感によるべきものと思う。するとやはり被害者と加害者の綱引きや社会全体としてその犯罪をどのように考えるかによるべきものと考える。
3、生命の絶対的尊重 「人間一人の命は地球より重たい」と決めているのに、国が合法的に犯罪を犯していいのか、というものである。これには、まず国が合法的犯罪を犯す、という言い方が間違っている。国は国民全体が決めたルールにのっとって死刑という行為を行っているのみである。この言葉は「100万人殺せば英雄、一人殺せば殺人犯」という言葉を思い起こさせる。正義とは、実は曖昧なもので、その基準は社会が作り出すものである、と考える。サダムフセインの行為は一部のイスラム教徒には正義であったかも知れぬが、アメリカや圧迫されたイスラム教徒にとっては最悪であった。それゆえに正義を決める側が変わったとき、死刑に追いやられたのは当然である。
また死刑廃止論者はヨーロッパは死刑廃止であり、先進国で死刑を認めているのは日本と米国くらいだ、あとはアフリカや北朝鮮や中国など非民主的な国ばかりだ、死刑廃止or執行停止中の国は128カ国なのに対し、死刑を実施しているのは60カ国だ、等と主張する。しかしこれこそ日本は日本としての考え方でいい。
死刑廃止は、むしろキリスト教的考えに基づくのではないか、と考える。そのくせ歴史を振り返ればこの宗教の考え方に基づいて多くの虐殺が行われたことは皮肉であるが・・・・・。日本の考え方の基本というのなら、むしろ中国に近いのではないか。その中国では死刑廃止のような考えは一笑に付されるに違いない。因果応報の考えが強いと思う。
いくつかチェックしたサイトの中で、死刑になる人間は、例外があるのかもしれないが、大抵は他人の命を奪っている。他人の生きる権利を奪っている。しかしそのような行為によって自分も生きる権利を主張できなくなった、と解釈すべきだ、としているものがあって、うなづける気がした。
死刑が確定した後、死刑を執行しないのはあきらかに怠慢である。おかげで今日本の刑務所には100人からの死刑囚がいる。刑務所にいれば、黙っていても食える。しかも死刑囚は一般の犯罪者たちが行う労働さえしないのである。刑を執行しないことは、そういった人間を無駄に税金を使っているだけだ、と非難されても仕方がない。むしろ死刑が確定したなら10日とおかずに執行する方が正論というべきではないか。
終身刑ということも議論されているようだ。つまり恩赦など絶対ない終身刑というものを課せば、その人間は社会に出てくる可能性がないのだから心配あるまい、という議論である。死刑の執行は一時的なものだが一生罪を償っていかなければならないという立場におかれることはきつい、という。しかし社会全体の利益から考えてほしい。関係のない国民は、自分たちの金で彼を生かし続けることに、イエスというだろうか。
最後に法務大臣も人間である。死刑を執行することによい気分はせず悩まれたに違いない。しかし秩序ある社会を守るためには、しなければならぬと考えられたのだろう。それを考えずに公共の言論機関である新聞を使って、このような言い方をするのはまったく品性を欠き、下劣であるといいたい。
註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha
読者から次のようなメールをいただきました。
(A氏)現在の実定法のもとで、死刑判決を執行しない法務大臣は任務に忠実ではないと思います。(いやなことは先送り?)その点で、鳩山大臣は職務に忠実だ評価します。
ただ、1万人の死刑囚の内一人も冤罪がないかと言われると人間のすることですから。躊躇するしますよね。法務大臣の良心に照らし判決文をよく読んで判断すべきだと思います。
もうすぐ死にそうな老人をあえて死刑にするのも不憫な気がします。生涯獄中というう終身刑(ただし労働はさせる)も一考に値すると思います。
欧米の死刑廃止は宗教によるところが大きいとの阿笠さんの分析ですが、それでは、東京裁判は何であったのか、あらためて問いなおしたい気持ちです。
(B氏)私も死刑廃止反対論者です。
やはり、他人の生存の権利を奪ったものは、自分の生存の権利を失うことを覚悟すべきです。
だから、私は刑法第39条も大嫌いです。
他人の生命を奪った肉体の持ち主の責任として、「心神喪失」という言葉で許されるのが理解できません。
(情状酌量はあってもいいですが、「之ヲ罰セズ」は納得いきません)
ただ、問題なのは「冤罪」ですネ。(中略)捜査当局にどれだけ信頼が置けるが重要なのですが、裁判所の手伝いをしながら思うのは、この世界の仕事量が膨大な割合に、人が少なすぎるのが実感で、本気で「正義」を追求したいのなら、予算配分から考え直すべきでしょうネ。(正しく生きていない議員たちが手をつけるわけがない!)