亡くなった私の叔父は中国文学者であった。その叔父が訳した岩波文庫「金瓶梅」十巻をようやく読み終えた。このような本を今頃になって読むのも何かの縁かもしれない。
一巻の巻末解説に寄れば、この長編小説は明の万暦(1573-1620)の中期、16世紀の終わりに書かれ、次第に評判が広まり、17世紀はじめには版本が現れた。
舞台は山東省清河県、比較的近い首都東京がしばしば登場する。時代は宋の徽宗の治世に仮託されている。正確には政和2年(1112)武松の登場に始まり、靖康元年(1126)の靖康の変(金軍が首都東京に侵入して、徽宗とその長子以下3000人を捕虜として北方に拉致した事件)で終わるが、主人公の西門慶の死(政和7年)までが一番密度が高く全100巻のうち79巻まで占める。
この時代背景は水滸伝とほぼ同じということだ。しかし当初は賞賛する一方、おおむね市井の滑稽譚として「水滸伝」には遠く及ばない、との見方もあった。色情描写が多くて、読者に悪影響を与えかねない、と危惧された。しかし清末にいたってこの小説の持つ明朝末期の時事の糾弾、および写実性が高く評価され、1930年代には「本当の中国社会の種種相を表現したものは「金瓶梅」のほかには見出しえない。」とされるにいたった。
物語は、まじめ一方でさえない夫をもった潘金蓮と家業を継いだ薬屋の主人西門慶がいい仲になるところから始まる。そそのかされて、夫を砒素を使って毒殺、第五夫人に収まる。一方これを提訴した弟武松は、誤って殺人を犯し、流罪に処せられる。西門慶はさらに梁中書の妾だった李瓶児を第六夫人として迎え、その莫大な財産も手に入れてしまう。
質屋を始めたり、李瓶児屋敷の跡地に糸屋を開き、後には江南から絹織物を仕入れて呉服屋まで開業、繁盛させる。さらに李瓶児を伝に山東提刑所の理刑(山東の警察・裁判をつかさどる官庁の副長官)の地位を獲得する。また今まで西門慶には子がいなかったが、ようやく李瓶児が男子を出産する。西門慶は、地位を利用して悪銭を稼ぎ貪官汚吏ぶりを発揮する一方、廓通いに加え、使用人来旺や韓番頭の女房にも手を出すなど、漁色はとどまるところを知らない。賄賂千両で殺人犯をかばって、告発され一時は窮地に立つが、これも抜け出してしまう。
一方で西門家内部の女たちの争いも激しい。正妻呉月城は賢夫人型、第二夫人廓あがりの李嬌児は打算型、第三夫人孟玉郎は善人型、小間使い上がりの第四夫人孫雪我は破滅型、第五夫人潘金蓮は淫夫型兼じゃじゃうま型、第六夫人李瓶児は純情型といった具合。さらにこれにそれぞれ小間使いが二人づつつけられるが、潘金蓮づきの勝気な娘春梅や廓の李桂姐、呉銀児等が物語の中で重要な位置を占める。これら女性の性格の書き分けがうまい。金瓶梅というタイトルは潘金蓮、李瓶児、春梅からとった。李瓶児が子供を生むと、西門慶の寵愛が彼女に集まり、潘金蓮は、憎らしくてたまらない。李瓶児が下手に出ても張り合う。ついにはかい猫「雪獅子」をけしかけて瓶児の子を忙殺してしまう。そのショックから李瓶児も他界する。
西門慶は瓶児の死に慟哭するが一方で今では提刑所の長官に出世する。ところが「色は人を損う剣」とやら、潘金蓮が飲ませた媚薬が引き金となって西門慶はにわかに体調を崩し、ついに33歳の若さで他界。その日に子を待ち望んでいた呉月城に長男が生まれる。
すると女房を提供して西門慶に信頼された番頭韓道国は、ちょうど江南に商品を買い付けに行っていたところだが、そのまま逐電、李嬌児も店の品物を持ち出して廓に戻ってしまう。潘金蓮は、婿の陳経済との浮気が妊娠で発覚、怒った呉月城が二人と春梅を追い出してしまう。潘金蓮自身は、その後、刑を終えて戻ってきたあの武松に仲人婆ともどもに惨殺されてしまう。この辺は因果応報譚的要素が見える。さらに孫雪我は昔の雇い人とでき、店のものを持ち出して逐電するが発見され身を落とす。彼女はやがて昔目下だった春梅に買われるが、別の物語にもあったパターン。孟玉郎も大家の嫁に行き、あれた我が家に残ったのは呉月城一人。そこに東京に侵入した金軍が押し寄せる情報が広がるなどして・・・・・・。
描写が非常に細かく臨場感があること、随所に小唄や詩が紹介されている点、実にきらびやかで、日本の古典作品と比べて何か脂っこく中国的な感じがする。
最後に呉月城が、息子と共に逃げ出した永平寺で見る夢は、故人たちの亡霊が次々に現れ、どこそこに生まれ変わるとする、息子の顔に老師が禅杖をあてると、首に重たい枷をつけ、腰に鉄の鎖を巻いた西門慶の顔になる等。結果として息子の得度を承諾する場面は、作者の考え方そのものを示しているように見える。
この作品の見方について呉小如という人は「当時王陽明一派の主観的唯心論の思想が流行していた為も知れないが、作者は現実世界に対して極めて冷酷無情の態度をとり、すべてを虚無、まぼろしとみなし、人生に対して全面的否定を示す考えを多分に持っている。」としているそうだが、あたっているよう感じた。
註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha