702「キリスト教の発展」(10月13日(月)晴れ)

本を読んでいて、長年疑問に思っていたことが、解ったような気分になると大変うれしい。
塩野七生の「ローマ人の物語」は、全巻15巻の大部のものがすでに発行され、一般向けに文庫本になって出版中。最近12巻「迷走する帝国」がでた。文庫本では3冊に分かれているが、下巻の最後にあるローマ帝国内でキリスト教が勢力を伸ばした理由が書かれており、非常に面白かった。
私が今まで疑問に思っているのは、この問題とあわせて、キリスト教がどのようにしてユダヤ教から分離していったか、なぜユダヤ教に較べて広く世界に発展したか、一方でなぜキリスト教は日本では発展しなかったのか、というようなことである。

以下、主として、塩野七生の「ローマ人の物語」12巻より引用。キリスト教が台頭した要因に塩野七生は二つの説を紹介している。
第一はあの「ローマ帝国衰亡史」を書いたギボンの説である。
@断固として一神教を通したこと。其の一事を曲げないことに対してのキリスト教徒の熱意は、頑固であり不寛容であるといってもよかった。この面での不寛容はユダヤ教から受け継いだものだが、ユダヤ教の過度の厳格さと非社会性をキリスト教は脱ぎ捨てた。
A魂の不滅に象徴される、未来の生を保証する教理を打ち立てたこと。ただしこれが信徒増大の武器になりえたのはローマ人が漠然と帝国の終末が近い、と感じていたからである。
B初期キリスト教との行ったとされる奇跡
Cすでにキリスト教に帰依していた人々の禁欲的な生き方
Dキリスト教徒のコミュニテイが、独立した社会を構成するようになったこと
第二は著者の尊敬するイギリス・ドッズ教授の論である。
@キリスト教そのものが持つ絶対的排他性、
Aそれでいて誰にもひらかれていたこと
B人々に希望を与えることに成功したこと
C帰依することが現実生活でも利益をもたらした。

著者は、これらが正しいとして、独自の仮説を付け加えている。
「台頭の要因は、ローマ帝国がキリスト教に歩み寄ったのではなく、キリスト教会のほうがローマ帝国に歩み寄ったのではないか。」とし、根拠を次の4つに求めている。
@偶像崇拝を認めた。・・・・聖パウロ時代に禁止されていたように、古代には認められていなかった。しかしローマ時代には集会場所等にしばしばイエスの像などが描かれていた。壁に描かれたフレスコ画ならよいと黙認したようだが・・・・・。
A割礼しなくてもよいとした。・・・・初期キリスト教との信者は割礼主義者だが、ローマ時代には其の習慣のないまったく無縁な人も受け入れた。
B帝国の公務と軍務・・・・コミュニテイへの義務を認めている。軍務についてすら両立不可能とはしなかったのである。
改宗した兵士の言「ユダヤ王の兵士でありながらキリスト教徒である我々はどうすべきか。」ヨハネ「王から支払われる給料で満足せよ。また、軍事行動はしても、暴虐にいたってはならない。昇進は、仲間への中傷の結果であってはならない。」
Cグレイゾーン・・・・@からBの総計で、キリスト教側が歩み寄って、白と黒が明確に分かれないグレイゾーンができ両者が共存できたのではないか。これに対しユダヤ教ではグレイゾーンを持たず、白と黒の関係になってしまったため、うまく行かなかったのではないか。
これらの妥協について、実はキリスト教会内部でも争われた。聖パウロの与えた指針を守ろうとする穏健派とローマ帝国の公職や兵役に就くことはキリストの教えに反するとする急進派が対立した。しかし3世紀も後半になると穏健派の巻き返しが決定的になったようだ。

この先は別に読んだモンテネッリの「ローマの歴史」によれば「腐敗した帝国の中で、キリスト教は唯一道徳性に優れ、良い著述家、優れた弁護士、有能な官吏はキリスト教徒以外に見当たらない状況だった。やがてコンスタンテイヌス帝(312-337)は司教の管区裁判権を認め、教会財産を免税にし、信者団体の「法人格」を認めるなどした。」・・・・すなわちすべての宗教の平等をうたったミラノ勅令を経て、313年にカトリック教を国教とするのだ。

最後にこれらの見解は、私には「キリスト教は日本では発展しない理由」に対するヒントも与えているように見える。仏教のような強固な宗教が社会にすでに根付いていたこと、軍事力をちらつかせたため為政者に恐れられたこと、ローマ時代のように弱者の立場でなく強者の立場で布教しようとしたことなどではないか、と考えるのである。

註 ご意見をお待ちしています。
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読者から次のようなメールをいただきました。

いずれにしてもキリスト教の我が国における布教は数少ない
失敗例の一つですね。布教後300年以上も経って人口の
1パーセント以下の信者しか集められないのですから。
ちなみにここで言う信者とは死んだときにキリスト教式の弔いをして
キリスト教徒として墓に入る人とします。小生も昔の会社の同僚とか先輩の
葬儀には良く行きますが、キリスト教は少ないですね。実感として。

原因のひとつは弾圧とか布教禁止ですが、もうひとつは
日本人に特有の宗教観だと思います。
生まれたときはお宮参り、結婚式は神前、日曜日には協会に行って
クリスマスにはさわぎ、そして死んだら旦那寺に入ってしまう。
寛大な宗教観ですよね。
庶民代表の秀吉のキリスト禁止令は傑作です。
「日本は神国だから、仏教以外は禁止」
彼にとっては神も仏も区別は無かったのです。

以下に秀吉の出した天正のキリシタン禁令の骨子を参考までに

宣教師には次のような沙汰していた。
1  日本は神国たるところ、キリシタン国より邪法を授けそうろう儀、はなはだ
以って然るべからす(日本は神々の国である。宣教師は邪宗を唱えている。キリシタ
ン国が邪法を授けている。それはよろしくない)。
2  キリシタンが神社仏閣を打ち壊すのは不届きである。今後は何事も秀吉の命令
に従ってやるように(彼らは諸国で宗門を広めつつ日本の神社仏閣を破壊している。
かってないことであり、罰せられるべきである)。
3  バテレンは20日以内に自国に立ち去れ。
4  商船は商売のためであるから、別の問題である。
5  今後、神と仏の教えに妨害を加えなければ日本に来るのは自由である。