721「何かの始まりに立ち会う」(12月20日(土)晴れ)

同期のA君が仲間につぎのようなメールを送ってきた。
「未曾有の大不況が世界に広がっています。
オバマはチェンジチェンジと言っています。ケネデイは、政府が何をしてくれるかではなく、自分が政府の何ができるか考えてみようと言いました。
福沢諭吉はずいぶん昔に、天は自ら助けるものを助けるといいました。
GMの会長は自家用機で乗り付けて会社を助けてくれと言っています。
皆さんは此の不況をどうお考えでしょうか。
きっと私たちは何かの始まり(そのとき歴史は動いた?)に立ち会っているのです。
何となく、皆さんの考えを聴きたい気分なのですが・・・・」
ちょっと気の利いた洒落た文章だ。しかし、私はA君がこのような気持ちを抱く理由が分かる気がする。

今の世の中を一言で言えば「一寸先の分からぬ世の中」「何でもありの世の中」と言えないか。サブプライム問題に端を発した世界の状況の変化は、この考えの正しさを証明している。トレンドではものは考えられない。
大手電気会社T社の転換社債を少し買った。期間は2年半。
転換社債は金を貸し付けるわけだから、会社が存続している限り利子つきで返ってくる。その意味で安心のはずである。しかし「本当にT社は2年半先に存在しているだろうか。T社といえば米国企業と組んだ原子力発電所建設の話がよく知られている。しかし事故でも起こしておかしくなることはないか。」・・・・そういえば、今回日銀の資金供給の目玉に「企業のCPを場合によっては買う」との話があった。
しかし一方で現在の変化は、歴史の中で見ればそれほど大きな変化ではない、という気もする。
たとえば敗戦・・・・父母に苦労を思え、明治維新・・・・「篤姫」を見なかったのか、もっと卑近な例を挙げるならオイルショックの後をみよ。
ある人は、米国のダウ平均は3000ドル、日本の日経平均は3500円まで行くのではないか、と囁く。かって日本のオイルショックのときは40000円近くまで行ったダウ平均が10000円を大きく割り込んだではないか。とすればざっくり5分の1、これを当てはめれば、というわけである。
幸い、最近そこまでは行きそうにない兆候が見え、期待しているのだけれど・・・・・。

私も資産を大分減らした。しかし私は一方で自分にこうも言い聞かせるのである。
今回の損害は大きい。しかしバブルのときに、私の住んでいるあたりの土地は、坪500万までいった。
それが今では100万である。100坪の土地を持っている者は、4億の被害を出したはずだ。
しかし土地が安くなって「平常に戻った。」などと嘯き、心配しなかったではないか。
人間はつい自分の置かれている立場でものを見がちである。目先の状況と尺度に意識を奪われて、それが歴史の流れ全体の中で捉える余裕を失う。

私は最近生きていることの楽しさを考えている。人生を一つの芝居に譬えたものがいる。いつも本番でやり直しが利かない。よく自分の成功譚を本にしたりするものがいる。しかしあれはいろいろな条件が絡み、偶然が重なったおかげで偶々うまくいったことを述べているに過ぎない。読者が真似をしようとしても絶対に出来ない。
其の話はさておき、人は、人生芝居の役者であると同時に、見物人でもあるように思う。
しかも同時進行する沢山の芝居の・・・・・・。幸いなことに通信網の発展で、沢山同時に楽しめるようになった。生きていることの楽しさは、ここにあるのではないか。つまりこのような大変化に立ち会えること、及び其の中で自分自身が呻吟すること自体が楽しみであり、人生の意味なのではないか。もっとも舞台の火の粉がわが身に何時降りかかってくるかも知れず、見物人に徹することも出来なくなるかも知れぬ。


オバマが就任し、日本は小沢が政権をとったとして、さて来年の日本はどうなるか。とんでもない方向にチェンジするかもしれない。自分の周囲に集まるあらゆる情報を頭の中でこねくり回して考えているが分からぬ。そして自分はどのようにしたらよいのか、もちろん欲得からめて考える。所詮は、人間は自分中心で物事を考える生き物だ。その結果の集まりが世の流れを形作ってゆく。
私はもう67歳、何時倒れるかも分からぬ、老人ホームのベッドかも知れぬ、棺おけかも知れぬ。しかし劇の続きは見たくてたまらない。それを楽しむために体を鍛えることにしている。
最後に、私もみなさんのお考えを、Aさんのように聞きたい。ついでにもし来年起こることを、何かしら予想する人があったら教えてほしい。明日の新聞は是非読んでみたいものです。

註 ご意見をお待ちしています。
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