726「同期の専用メール欄について」(1月6日(火)晴れ)

高等学校同期の仲間専用のメール欄がある。200人くらいは参加しているのだろうか。
そこに「昨年来のサブプライム問題に端を発する不況は歴史の転換点なのではないか。皆さんはどう思うか。」というようなメールが掲載された。
私は「歴史の転換点というほど大げさなものではないかもしれない。生きていることの楽しみは時代の変化を見られることだ。変化はきついけれどもそれを楽しむくらいの気分で・・・・」くらいのことを自分のホームページに書いた。
メール欄の問いかけには、いくつかの投稿があり、それぞれ考えさせられたが、最近の某君のメール「最初の発言は私が仕掛けたものだ。こういう活発な議論がほしい。ついては君のメールの専用メール欄に公表してくれないか。」

仲間同士の専用メール欄というのは、なかなか難しいところがあるように思う。
5年位前のことであったと思う。私は「仲間同士であるから自由な意見を言うべきであり、それが活発な方がいい.」と考えて自分の通信そのものを送った。ところが
「長すぎる。読みたくもないのに迷惑だ。」
「他人の家のアルバムを強引に見せられるようなものだ。ひっこめろ。」
「みんなが色々言っているのに、まだ送っているのは頭がどうかしている。」
など散々な批評であった。それから私はすべて自分のホームページに掲載し、専用メール欄にはこういうものを掲載した、見たい人はどうぞ、というスタイルにした。
今回も其の慣例に従ったのだが、最近では最初のきめとは違うどちらかといえば政治的な意見まで載ることがあり、苦笑を禁じえない。

しかし一体このようなメール欄のあるべき姿はどのようなものなのか。
私の立場からは想像できないほど、みなさん、実に多様な意見を持っておられる、と感じる。私たちの高等学校はなかなか優秀であった。それだけに皆さん思い込みが強い、ということだ。欠点は人の言うことを聞く耳持たぬ、というところか。憲法9条、靖国神社、君が代、株価の動向、教科書そんな言葉をみるだけでわが意を得たりと感じる者もいれば、飯がまずくなる、と感じる者もいるというようだ。
高校同期の専用メール欄というのはスキーやパラグライダーの同好会のそれとは違う。なぜといって後者には共通の話題や夢がある。前者は必ずしもそうではなく、同じ高校を出たというだけで、それぞれ違った考えの人間の集まりである。
そのようなサイトを長続きさせるには、雑多な人がおり、其のグループの発展を望んでいるのであるから、言うべき意見の範囲を考えることが大切で、仲間をアジったりプロパガンダ的意見は控えるべきであると思う。また井戸端会議も他人の家族アルバムを無理やり見せられるようなものだ、と感じるものがいるならやめたらいい。すると何が残るのか。同好会の連絡であってもなにやらの会や本の情報提供であってもいいが、其の程度にしたほうがいいような気がしてきた。同期の集まりはいわば友達同士の集まりである。君子の集まりにし、細く長く続けることが大切なのだ、と思う。
ただ皆が少々の逸脱は大目に見る、という寛容の精神が必要だ。少々政治的意見でも連絡事項でも「あいつは馬鹿なことを言っている。」くらいで気楽に見てやることが大切だ。
まして自分のパソコンは受信に時間がかかるから関係ない情報はやめてくれなどという考え方は辞めてほしい。それを言い出したらパソコン通信グループそのものの存立が危うくなる。私のところにもジャンクメールが毎日山ほど来る。そんなものに較べたら、たとえ気に入らぬ情報でも高校同期のものとなればうれしい!

私の意見はそれほど政治的なものであるとは思わない。しかしそれは私自身が下している判断であり、他の人がどう見るかは分からない。いつかは「君は右翼だ。」と言われてびっくりしたことがある。また私の意見は通信の原稿として書くものであるから長ったらしい。自分の肌で経験したことが一番大事、と考える私はついプライベートな話も入れたくなる。そんな観点から私の意見は専用メール欄には送らない方が良いように思う。

最後に一つ、自由にものが言える世の中、それが素晴らしいのだと思う。しかし最近はその発言が立場にふさわしくないなどの理由で時々これを否定する傾向が見られる。また発言の場も議会のような公の場でなくても、激励会、投稿、ブログあらゆるものに目を光らせている。そして自分の意見と相容れないものは責任を追及し、時には其の地位の抹殺さえ要求する。これでは息をつく暇がない。ホンネを語る暇がない。言論の自由とは自分の意見と同時に、他人の言論に対しても耳を傾けるという精神が必要である。

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