727「小野神社の由来」(1月8日(木)晴れ)

私のこの通信での名前は、阿笠湖南になっている。しかしもちろん本名ではない。今日はこのエッセイの都合上本名を明かしておく。小野という。
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何年前の正月であったか、弟が小野神社に連れて行ってくれた。我々と同じ名前だから何か縁があるのかもしれない。鳥居をくぐって石の階段を登るとお堂と其の前に賽銭箱だけがある。地元の熱心で熱心な人が居るらしく、最近は正月に行くと無料のお神酒が振舞われたりして、毎年少しづつ整ってきているように思う。今年もこのことを元旦に書き通信に掲載したが、小学校同期のA君から次のようなメールをもらった。
「(豊田の神社、小野篁神社について少々質問する)此の神社は愚考するに滋賀県の比叡山のふもとにある小野篁神社の末寺と思われる。滋賀の此の神社の近くには小野神社というものもある。2社ともかやぶきの屋根の、古代の社がそのまま残ったような古風な神社である。此の地から小野妹子が京都に出て六角堂頂法寺となる未開のところに柳を一株植えて、のちのいけばなの祖となる池坊の先祖となるのです。その後聖徳太子のお使いとなり渡唐したことは史実の通りである。貴君のご先祖ではないかと思われるがどうですか。それにしても、豊田の地に勧請したのはいかなることなのか興味がわく(一部編集)」

豊田は、弟に訪問する際、車で迎えに来てもらったところだからあの神社が豊田にあるかどうか知らぬ。そこで小野神社をwikipediaで調べる。
小野神社としては、府中市にあるものが有名である。多摩川の左岸住吉町にある。中河原駅から5ないし600m、住宅地にある公園の横にある開放的な公園。さらに「式内論社、武蔵野国多摩郡小野神社、御祭神天下春命(知々夫国造の祖)、瀬織津比売命、天押帯日子命(小野氏の祖「神名帳考証」)」などと記載されている。
式内社というのは927年にまとめられた延喜式神名帳にまとめられている全国の神社のこと。それ以外を式外社といい、現在では神社の社格とみなされている。また論社は神社が一度荒廃した場合、後裔と目される神社が複数出ることがあり、それぞれの神社を言う。
多摩川を挟んで多摩市にもう一つ小野神社がある。こちらは武蔵国一宮。やはり式内小野神社の論社。
現在は多摩市のほうが境内も社殿も広く立派。確たる証拠があるわけではないが多摩川の氾濫により遷座を繰り返すうちに二社に為ったらしい。このサイトには式内社報告として歴史資料なども引用して調べてあるから面白い。

ところで主題の小野神社はこの二つの小野神社ではない。町田市にあるものなのだ。
「小野路の地は古代から鎌倉街道の重要な中継点の一つとして知られていたが、天禄年間(972年頃)の武蔵野国司として赴任した小野孝康(小野篁7代後の子孫)が、この地に祖先の小野篁を祭ったのが始まりとされる。かってこの神社にあった鐘は、文明年間に山内上杉氏と扇谷上杉氏が争った際、山内上杉氏の兵によって陣鐘として持ち去られ、現在は神奈川県逗子市沼間の海宝院にて梵鐘として使用されている。」
「主祭神は小野篁である。天保年間に製作された絵図によると小野路宿では小田原道、神奈川道、布田道、府中道、八王子道の5つが交わっていたとされる。」などの記述もある。
どうも滋賀県の神社や池坊には関係がなさそうである。もちろん式外社なのだろう。

しかしついでに少し雑学の幅を広めてみよう。以下適当にインターネットの抜書き。
「小野路の地名は、地元の伝承によると小野小町を輩出した古代小野氏の牧領であったことにちなむそうである。」
小野妹子(生没年不詳)=近江国滋賀郡小野村(大津市)の出身。日本書紀に寄れば聖徳太子の命により、607年遣隋使として隋に渡る。608年に帰国。小野篁(802-853)。小野小町(809-901年頃)=尊卑分脈によれば小野篁の息子小野良真の娘とされるが、生没年が会わない。詳しい系譜は不明である。生まれは、秋田県湯沢市小野が生誕地であるという説が有力であるが、福井県越前氏とする説、福島県小野町とする説、茨城県新治郡新治村大字小野とする地元の言い伝えなど生誕伝説の地は全国各地に点在している。

(近くに小野路城址というのがある。)「小野神社の脇を山中へ進み正面の頂を目指して歩きます。途中万松寺を過ぎた辺りで標識に従い脇へ逸れ、山腹の台集落を通って尾根筋を登ります。然程急ではなく、20分ほどで本城域に着きます。本丸と、堀切を隔てて同じ高さの副郭がありその周囲を幾つかの堀と曲輪が巡る並郭式に近い構造をしています。」
「小野路城は、西方800メートルほどにある小山田氏の本拠小山田城の支城として築かれたとされる。小山田氏は、関東平氏の祖高望王の末である。初代小山田有重は承安元年(1171)に小山田城を築き、子の二郎重義を同じ時期(承安年間)に小野路城に配したとされる。小山田氏はその後、有重の長子稲毛重成が讒訴の罪で誅伐されたことで没落した。」
弟に小山田氏の話をされたとき、私は武田氏の家臣であった小山田氏を思い浮かべたがそうではなかったようだ。城址はこの次にでも尋ねてみたい。またA君が「小野妹子が渡唐した」と書いたのは、彼は社会科の先生をしていたというから、私を試したか?

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