730「晨星落落」(1月21日(水)曇り)

サウナに行くと、あのリッチ老人が来ていた。ゴルフが趣味でこの4月にはいつものようにハワイ、フロリダ等を巡ってマスターズを見て帰ってくるのだ、といっている。
83,84歳なのだろうか。終戦の頃は20過ぎであったか。
彼は、海軍経理学校をでた。入学したときには1000人近くいたが、卒業したときには389人に減っていた。午前中に講義があって、午後に試験をする。すぐに結果が発表されて落第すればそれでオシマイなのだそうだ。
終戦はトラック諸島で迎えた。22年くらいまでそこにいた。東久邇宮の近くだったので、海軍の経理処理のため現地に残ることが必要だった、日本に戻ってからある大手百貨店に就職し、役員クラスになったらしいようなことを言っていた。
「しかし今、同期会をやってもこられるのは30人足らず。それも75歳くらいまでは連れ合いと一緒に来たものだが、今は皆一人で来る。寂しいものですよ。」
亡父を思い出す。88歳で亡くなった。彼もまた晩年友達が居ないことを嘆いていた。高等工芸だったが、同期生も少ないのかせいぜい2、3人しか残っていなかったらしい。

帰りに公会堂のカフェで、いつものように漢字のお勉強をしていると、同じ高等学校を出たA君がやってきた。「美人の奥さんはどうしたのだ?」と聞くと「お友達とおしゃべりとかで夕方帰って来る。」彼と彼女は、もちろん愛しあっているのだろうけれど、それぞれまったく別個の世界を持っているのだろうな、と勝手に考える。
我々の高校は、一学年で男子300人、女子100人、それがすでに1割以上物故した。リッチ老人の話をすると「そうなのだ。友達が居なくなってしまうのだ。金なんかの問題じゃない。」と話があった。彼の周辺も、ずいぶん沢山の人が既に他界したらしい。

彼は、税務署に踏み込まれた話や刑務所に入った話をした。若いときにトランプ博打でつかまった。取調べが終わったから「じゃあこれで」といったら、「馬鹿、泊まってゆくんだ。」と一喝され、放り込まれた。「どういう房がいい?」と聞くから「泥棒といっしょがいい。」というと向こうは妙な顔をした。
「檻の中から外を見るのは切ないもんだぜ。泥棒は脚の中指が長い、という話を聞いたことがあったので、一度見たかったのだ。支給の飯を食ったけれど、回りの泥棒たちには差し入れがたんとある。彼らが同情してくれて、おかずを分けてくれた。牢屋に入るに際して身元引受人がいるんだ。女房の名を書くわけに行かぬから、咄嗟に知人の男の名を書いておいた。君もいざというときのために、身元引受人は決めておいたほうがいい。」
「こんなことは、詳しくは日記に書けないな。」と言うと「確かにそうだ。真実はみな語らぬものさ。刑務所に何度も入ったやくざが、檻の中の体験を書いていたけれど、肝心なことは書かないさ。これだけ殺した、死体はあの山の麓とこの河原の下とそれから・・・・、書けるわけ、ないだろ。」

友とは、どのような定義をしたらいいのだろうか。彼のように日記に書けぬ内容を気楽に話し合える間柄の人間かも知れぬ。
前提たる友情は、同世代のものに一番求めやすく、大抵の人は、それくらいしか育めないのも事実と思う。同世代を生きたということは、それだけで共通の何かしらがある。フィーリングの一致かも知れぬ。それが同じ学校を出たとなると、また共通の範囲が広がる。
「会社関係などいささかでも利害関係のある友とは、そういったものが生まれにくい。」「全く違う世界の人とは親しくなりにくい」などとも感じる。しかしそういった中で友情をはぐくむにはどうすべきか・・・・なかなか難しい。
キケロの「友情について」にこんな言葉があった。「神様がわれわれを人間の寄り合う場所から連れ去り、どこか独りぼっちでおく。・・・・・(ロビンソンクルーソー的生活である)・・・・こんな生活に耐えられるほど、・・・・鉄のような心を持ったものがいるだろうか。」

同期のものが次々に亡くなってゆく。老人の寂しさはまさにここにある。私たちは其のことをようやく認識し始め、自分のよるべきところに気づき始めた年頃ではないか。そのせいか、同期の集まりなどすると案外に出席率がいい。特に私の高等学校はそのような活動に熱心で、私も積極的に参加している。
「珍しく良い若布が手に入った。持ってゆかないか。」というから帰りにA君の家に行った。ありがたくいただいて帰ったが、A君は通風の気味があるそうで、少々よたよたしている。「大丈夫か。」と聞くと「ここまでやっと回復したのさ。」などといっている。奥さんも不在のようだから玄関先で失礼した。

註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha