748の「エイプリルフール」に、読者から「孫の年齢と君の年齢があわない。」などとのコメントが来た。読者は私の通信というと私が書いたもの、と考えるらしい。書き手は私ではなく2070年4月の私と同じような立場に居る人間が書いた、という想定である。
ところでこのエッセイを、後から読み直してみると、どうしてこういうことを書くのか第三者には分かりにくいかもしれない、と考えた。
2070年、60年先の社会、大した情報のない素人、そんな私が正しい予測が出来るとはとても思えない。しかし当たらないという点では学者や、したり顔の新聞記者がやったって、同じようなもの・・・・60年前、つまり私が終戦を終えた頃、今の世の中を想像するようなもの、当たっているものが一つだってあったろうか。60年先には私も読者も墓の中、少々無責任なことを言ってもお咎めはあるまい、くらいの気持ちで書いた。
まず全体を書く前に、世界戦争のようなものが起こらないだろうか、と考えた。
ここは局地的ないざこざは起こるだろうけれども、全体としては起こるまい。国際連合はじめ多くの国際的な機関や関係が機能し、国民から時々無駄遣いといわれながらも世界の首脳が頻繁に行き来する今日、戦争が起ころうとすれば何とかして回避しようとするだろう、それが今まで築きあげてきた人類の知恵、と考えた。
地球温暖化について、今起こっている現象が二酸化炭素の排出ゆえ、という議論にはどうも納得できないものを感じる。太陽の黒点の問題か何かもしれない。30年位前、丸善で平積みの本のタイトルを眺めていたとき、一冊は地球が暑くなる世界を予測し、脇の一冊は氷河期の地球を予測していた。そんなことであえて逆説的予測にした。
石油は、従来可採量があと30年とも40年とも言われ続けてひさしい。しかし毎年新しい油田が開発されるのか、あるいは今まで掘らなかったものまで値段の高騰により使えるようになるのか知らないけれども、一向に減らない。その伝では楽観も許されるけれども、一方で資源の枯渇が起こったときに、極端な価格暴騰が起こるとも考えられる。すると石油の消費量は大幅に減る。結果として二酸化炭素の排出量は予想しないくらいに減る、と考えたが、どうだろう。人の言うことが当てにならないことは、この1年余り前は石油は暴騰を続けやがてバレル200ドルになるのではないか、などと心配されたが、その後ほんのわずかな狂いで暴落に転じたことはみな知っている通りだ。
さて石油が少なくなり価格が上がれば、人類は代替エネルギーを探す必要に迫られる。石炭、原子力、太陽光の三つが候補に挙げられる。私はここでは原子力、太陽光ではないか、と漫然と考えた。文中「江ノ島の海は、昔のように変わっていなかった。」と書いたけれども、あそこは「江ノ島の海は太陽光パネルで覆い尽くされていた。その中を車で少し行くと昔と変わらぬ海があった。」とすべきであったかも知れぬ。
自動車については電気自動車時代になると考えた。1次エネルギーベースでのガソリン車と電気自動車の比較は、火力発電所の効率に大きく左右される。効率の良い発電所が当たり前に成れば、後者が効率的と考えられるようになるのではないか。問題はバッテリーである。小型で大容量の電気を貯えるバッテリーの開発が望まれるが大変であろう。ここは大都市間の交通は化石燃料型、都市の中では電気自動車になるような気もする。
完全リサイクル社会は当然と思う。大抵の資源は、人類は地下から掘り出した有限なものを使っている。しかもその有限なものの中のいくつかは地球のある部分への偏在が著しい。枯渇に近づけば近づくほど、リサイクルの重要性が叫ばれるのではないか。ただしそれが弱き個人の協力と犠牲の上に立たざるを得ないことは言をまたない。
日本の人口5000万人、7割が女性は少し極端すぎる予測かもしれない。しかし、女性があらゆる方面で男性を圧倒するようになる、と考えた。これはあの福島伸一先生の著書などを考慮に入れた結果である。
ロボット社会の出現は当然と思った。人間が余りやりたくない仕事の分野に、今後どんどんロボットが進出してくることだろう。この前TVで4人のモデルが立ち、この中で一つはロボットです、当ててください、というクイズをやっていた。皆当たらなかった。司会者がシリコンラバーの皮膚をはがすと、メカが出てきて皆びっくりした。また美人を標準にした可愛いロボットも開発され、ファッションショーに利用されるなどとも聞いた。
ただそれに対応して、家族の関係のありようも変わってくるのだろう、と思う。個人個人の生活が重視されるようになり、孤児対策、老人対策などは結局は公で見る、という傾向が強くなるのではないか。
月面の開発がどの程度進むのか予測できない。しかし最近では商業ベースでの宇宙旅行が可能になったということであるからあながち可能性がないとも思えない。
こんな風に考えてくると、私が書いたこともあながちエイプリルフールとばかり決められないでしょう?もし皆さんの中でこんなことも考えるべきだ、と案があるなら是非教えてください。
註 ご意見をお待ちしています。
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読者から次のようなメールを頂きました。
今後の自動車はどうあるべきかを考えるときに、忘れてはならないのは災害時のことだと思う。たとえば地震や水害でライフラインが寸断されたときに電気自動車や燃料電池あるいは天然ガス自動車などはどうなるのか、ガス会社が自己所有の車を天然ガスにするのは自由だが、災害時にそれがネックになり、復旧活動も出来にくくなるのはおろかなことだ。
戦車の動力源には、どの国も天然ガスや電気は使わない。
エネルギーのことを考えるときには、平常時と異常時の両面から議論が必要と思う。