753「一人だけのお墓参り」(4月8日(水)晴れ)

この前の陶芸教室での話し。「お彼岸でお墓に行った?」「いいや。」「仏壇にお花でも上げた?」「いいや。」「男の人はだめねえ。」
去年まではお彼岸に成ると次女夫婦が、私の車を借りがてらお墓参りに誘ってくれた。ところが赤ちゃんが出来て「赤ちゃんに墓を見せるものではない。」とかでお誘いがかからぬ。
そこで今日は意を決して、一人で行くことにした。初夏の陽気が続き、気持ちのよいドライブ。
たまたま水曜日は霊園が定休日だったから、近くの安売りでお線香と花を買って墓に向かう。花瓶の花が萎れており、1週間くらい前に誰か来た様子。少し生えかかっていた草を抜き、水で清めようとして気がついた。雑巾がない!水汲み場にもなく、あきらめる。線香に火をつけセット。墓の前で目をとして手を合わせる。

墓には父、母、亡妻の三人が眠っている。
平成4年、一番最初になくなったのは母親だった。
昭和15年に、23歳くらいで父と一緒になった母親は横浜に住んだ。翌年私が生まれたわけだが、戦争で日本はどんどん悪い方向に進んでいった。20年に弟が生まれ、その3ヶ月後に横浜の家を焼け出された。母親に連れられて坂道を防空壕に必死に逃げたのを覚えている。少し時間を置いて長野に租界、東京に父が家を立て、引っ越してきたのは22年4月であった。
昭和50年頃脳梗塞で倒れた。それから後はリハビリと病院の生活だった。優しい母親であった。いつも子供たちのことを考えてくれた。結局その脳梗塞が進展して平成4年になくなったが、遺品を整理しているうちに昭和22年、長野の疎開先から、東京に出てくるまで半年くらいの日記がみつかった。私は、彼女が晩年句会で作った俳句と共に、それらをワープロに整理した。今では母の残したものはそれくらいしかない。

平成8年、次に亡くなったのは妻だった。私と彼女は昭和42年に結婚した。私は26歳、入社したて、工場勤務で若かった。次々3人の子供が生まれた。彼女は明るく世話好き、いわゆる「つくし」型で、つくされた私は本当に幸せであった。
昭和60年頃であったと思う。子供は実家に預けて、彼女と初めてヨーロッパに旅行した。ロンドンとパリのみ、しかし楽しかった。茶目っ気のある彼女はバッキンガム宮殿の衛兵と一緒に写真を撮るなどしてはしゃいでいた。しかしそのとき彼女は言った。「私、お医者さんら膠原病と診断されたわ。進行を止めるのが精一杯で不治の病ですって。大事にしてね。」その膠原病が進展して、60キロ会った体重が半分、骨と皮ばかりになって亡くなった。死ぬ直前に、長女が娘を産んで、「やっと初孫を見ることができた。」と喜んだ。その後、子達はそれぞれ結婚して独立し、孫を合計5人も作って頑張っている。息子や娘に取っての原点もまた彼女である。しかし月日の経つのは早いもの、昨年、もう彼女の13回忌をやった。遺品もほとんど整理され、わずかばかりのお茶道具とお茶や花の師範の看板、それに位牌程度が残る。

平成12年、父親がなくなった。大正元年生まれで享年88歳。肺癌であった。私から見るとワガママで頑固なところが多かったけれども、物事にまっすぐで技術に厳しい人であった。戦争で横浜の家を焼け出され、桑折一つになった。それでも自前の技能、設計という仕事を通して頑張り、昭和22年にはいまのところに土地を買い、家を建てた。そのころ「もう日本だめ、これからは自給自足。」と考えて、広めの土地を買ったことが成功した。多才な人であった。絵画、音楽、写真、建築、いろいろやり、そのどれにも結構造詣が深かった。良くも悪くも私は、父から大きな影響をうけた。父は沢山の書物と自作の油絵などを残した。しかし亡くなると、私は、弟と共に父の住んでいた家を壊し、アパートを建て、残していったものは二人で分けた。それらに対し、私は今では「場所ふさぎ」と感じている。
父が亡くなったとき、息子が「平成4年、8年、12年、4年おきだ。次は誰かなあ。」と私の顔を見つめた。しかし生命力は結構強いのか、私は平成21年の今になっても幸いピンピンしている。生き恥をさらしている、といった方が正しいのだろうか。

しかしいずれ、私もこの墓に眠ることになるのだろうか。
死んでしまえばオシマイ。生きているものが残したものを分け、何も与えられず、土に帰し、忘れられてしまう。そもそも人間も動物であることを思い起こせば、儀式やメモリアルを残すことなどまったく必要がない。死に人間は、動物にはない宗教などというものを持ち込み、色々意味をつける。その死を商売にしているのが、葬儀屋であり、坊主だ。「私は戒名など要らぬ、石の下に残滓の骨を入れたって魂などのこるものか。死体は粉にしてばら撒いてもらえばいい。」私はそのうちに娘や息子に遺言で残しておきたいと思う。

註 ご意見をお待ちしています。
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読者から次のメールをいただきました。

小生の先輩のMさんは無宗教の人だった。仏教も信ぜず、キリスト教も疑い死後の世界などないと信じていた。

この人は死ぬとき遺言で奥さんに言った。
「葬式はするな、お線香は上げるな、すべて無駄だ。」と。
奥さんもその遺言を忠実に守ったのだ。それで生前お世話になった
小生は葬式にも参列することは出来なかった。
貴兄のように「戒名も要らない、墓も要らない」といってもその遺言は多分遺族に
よって実施されないだろう。遺族も同じ信念で固まって居ることは少ない。
完全にこの種の遺言が実施されたケースは小生の生涯でめぐり合わせたのはこの人のケースだけだと思う。