4月13日に考えるところがあって、「陶芸教室をやめる」という日記を書いた。先生にはその旨をメールで送った。特に返事は来なかった。今日が最後のレッスン、22日から2年に1回の展覧会が荻窪で開催される。それには出品するつもりで居る。
最後のレッスンに何を作ろう、夕べ考えたけれど、作りかけのものがないから新しく轆轤をひくことにした。しかし乾燥させ底を削り、素焼きをし、絵付けをし、また本焼きをしなければならないから、今日作るものはみな泥に戻る運命。
菊練りをするが、頭がうまく出ない。押しの力が弱いからだ、と先生。
すえるときにどちらを上にするか。回転する方角にあわせて、と先生。
土を据え、あげてゆくが座らない。空気を抱いていると先生。
20年もやっていて基本の出来ていないことに気がつく。
底をたたいて土をあげてゆく。私が作りたいのは直径7-8センチ、高さ40センチくらいの筒状の花瓶。最終的には高さ40センチ、球形が二段になった花瓶をつくりたい。中国の昔の花瓶を見るとそれが実に繊細に出来上がっている。
実は上と下、二つ作っておいて後から載せる方法をとる場合もある、と知っている。
大体の形をよりで作っておいて最後に轆轤に載せることも可能である。
またパイプやめん棒など丸く長いものを探してきてそれに粘土をまきつけて成型したものを轆轤に載せたら、とも考えたがやっていない。
しかし出来れば一気に出来ないものか。このような壷を作るには、先生に寄れば細い筒状のものを作っておいて後からこてで広げる。25cmくらいまではそんなに難しくなく上がる。しかしそれ以上になると、わずかなずれが拡大されてくる。円筒の内外から力を入れ、下から持ち上げてゆくと、上部が振れ始める。ゆっくりあげればあげるほど振れが大きくなる。振れが大きくなる前に引き上げるが、そうすると土はあがらぬ。
もう一つ大きな問題は、手が入らぬことである。強引に入れると径が広がってしまう。
こてを「湯沢屋」で捜したが適当なものが見つからぬ。自分で板を工作して長いゆっくりカーブしたこてを作ろうかとも考えた。しかし工務店に行くと、直径3cmばかりの木の丸棒があった。このほうが使いやすいのではないか、と求めてきた。しっかり握って丸棒に沿ってあげようとするが、なかなかうまく行かぬ。
結局最後は強引に手を入れた。悪戦苦闘して結局直径10cm、高さ30cm程度のものが出来上がった。筒の中を覗き込んでみる。内径ベースで見ると上のほうは8cmくらいだが底の辺りは5cmくらいしかない。外形ベースでは10cmくらい。すると底のあたりは肉厚が5cmもあることになる。その分上げられれば、均一円筒の近くなるのだが・・・・・。
それに本当はもっと細くしなければならず、手が入らぬ問題は未解決。
時間切れ。そのまま土に戻してしまうのは心残りで、後で乾いてから先生に戻してもらうことにした。いつものようにお茶の時間。
先生のご主人は、色々な料理に凝っているらしい。有名レストランのシェフに習っているとか。今日は手作りのシフォンケーキが出てきた。
今日は私も最後だからと、せんべいを買っていったから、ちょっと豪華なお茶の時間。
桜は散る、椿は落ちる、牡丹は崩れる、という。娘は乱れるは私の冗談。バリアフリーの家がお年寄りに良いとはいえない。すぐに使わぬ機能は退化し、衰えて行く。妻に先立たれたあるお年寄りが恋をした。両方の家の墓を壊してみんなが入れる僕たちの墓を作ろう、と提案したら、両方の家から猛反対された。今日はそんな話だった。会話を弾ませながらこれでよかったのか、と自問自答する。しかし振り返ってみたところで仕方がない。
先生は、この前のパリ出展の次の話に関心が高いようだ。「今度はどこにゆけるかしら。」この話を仕掛けたのはA君。彼は、仲間と一緒に日本の陶芸家を海外に紹介するNGOのようなものを立ち上げようとしているらしい。私はなんとなく浮いているように感じた。
「21日のオープニングセレモニーは来られるんでしょ。」
「ええ、もちろん、行きますよ。」突然いわれて、私は気軽に答えた。
パッケージツアーでお遍路さんに参加しようと申し込んだが、夜、寝床に入ってオープニングセレモニーとぶつかっていることに気がついた。・・・・ボケが始まっている?
後記(21日) オープニングパーテイ。20人近くの出席だが、A君は来ないから男性は私一人。やはり気後れがしてしまう。「皿は、食物を提供する背景である。目立つ必要はない。100円ショップで無地のものを求めてきたが、私のガールフレンドにひどく評判が悪い。」というような話をしたら、「あなたの文化度が低いからよ。」と一喝された。
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