768「豊洲工場OBの集まり」(5月31日(日)晴れ)

東京ガス豊洲工場は、昭和31年に操業を開始、63年にガスの製造を停止した。
首都圏のガスは、ずっと石炭を乾留し、コークスを作るときに発生するガスが供給されていた。それが昭和30年頃から重油やナフサを原料とする製造ガスに置き換えられていった。
供給するガスも1立方メートル当たり3600kcalから5000kcalに変えられた。
豊洲工場は、5000kcalガス供給の文字通り中心となる都市ガス製造工場であった。
天然ガスが、アラスカから昭和44年に初めて根岸工場に導入された。
以来、受け入れ先、受け入れ工場、天然ガスを供給するパイプラインが次第に整備されていった。今度は、製造ガスから1立方メートル当たり11000kcalの天然ガスに換えられていった。首都圏の天然ガス転換は、昭和46年に始まり、63年に終了した。

私は、昭和42年に東京ガスに入社し、46年まで4年間をこの豊洲工場で過ごした。
年齢的には25歳から30歳、42年9月に結婚したから文字通り新婚時代であった。
どのような経緯で豊洲会が出来たか知らないが、工場が閉鎖されてOBの会が開催されるようになり、私にも開催通知が届くようになった。

今日はその豊洲会が、例年のように都庁議会棟1階のレストランで開催された。
豊洲工場は、多いときには800人近い者が働いており、出身者は1800人に及ぶとも聞いたが、出席したのは120人あまりであった。幹事の「新入会員はいません。」との言葉が印象的。私は中では比較的年齢の若い方である。大抵色々教えてもらったり、お世話になった人ばかりである。年齢差は何年努力しても変るものではないから、いつまでたっても若造・・・・。しかし懐かしい人が多かった。
Aさんは、78歳とかおっしゃっているのに、まだ甲府のどこかの会社でコンサルタントをしているとか。「家にいても邪魔者扱いされるだけだ。人間は、元気な限り社会に貢献しなければいけない。」わが身を振り返って恥ずかしい。「まだまだゴルフもあちらも元気だぞ。」とにかくこういう風に積極的が大切!糖尿病だ、というBさんが、妙におとなしく聞いていた。
Cさんは、豊洲工場で一緒で、後に冷暖房技術に移った頃上司だった。
なかなかおしゃれな人である。
たまたま席が近く色々話した。「毎年今頃ならヨーロッパに旅行に行っているのだけれど、今年はインフルエンザで危険ということで止めにした。」そうだ。
大分娘さん自慢らしく、ドイツに留学した後、J大学で教えているとか。
健康そうにみえるが「年齢に勝てぬ。ゴルフのスコアが落ちてゆく。」と語っておられた。
D君は、豊洲工場では一緒ではなかったが、その後別の職場で2年間一緒だった。
ゴルフが好きで1000万円くらいの会員権を買った。
そのころ会員権は、もう値下がり中だったから「100万円になったら買うよ。」と揶揄った。
予想通り?値下がりを続け、結局10万円で売ったそうだ。「でも翌年にはつぶれて、紙くずになったからまだよかった。」そういう私も120万円の会員権が3万円・・・・。
勤めていた息子が、突然会社をやめて医者になりたいと言い出し、大学を受験、地方大学の医学部に通ってしまった。そのため仕送りが大変。今4年目、もう1年頑張らなければならぬ、としていた。
61歳くらいらしい。まだ埼玉の方で土木関係の仕事をしているそうだ。

ところで、現在築地中央卸売場を、豊洲に移転するかいなか問題になっている。問題は土壌汚染。この問題の行く先がどうなるかは分からないけれども、あのころは首都圏への都市ガス供給という使命への対応で一杯であり、土壌汚染など考える余裕はなかった。
この問題は、今日も会場のあちこちで語られていたが、行く先を見守る以外にない。
私は、豊洲4年間に供給や精製の職場を経験した。
石炭ガスは、考えてみれば問題の多いガスだった。
大半コークスに成るため、収率(ガスに成る割合)が悪いうえ、ガスの中にはタールだの、硫黄だの、ベンゼンだの沢山含まれていた。それを副産物として回収した時代であったが、いつのまにか土壌も汚染していた。こういう問題が起こると時代の流れかな、と思ったりする。

「みんな、随分元気だな。」すると一方から「来るやつは元気なのさ。元気がなくなれば来なくなるさ。」「そうだ、そういえば今年は彼を見かけない。」などの発言相次ぐ。
2時間でお開き。最後に幹事が「また来年も元気でお会いしましょう。」と挨拶したがひときわ印象に残った。いつものようにGNP、元気、長生き、ぽっくりがわが使命!

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