772「男二人、長瀞に鮎料理を楽しむ」(6月17日(水)曇り)

10日の日記にA君が鮎を食いたい、というので、場所探しをしたこと、そして長瀞の「秩父館」がよさそうだ、と書いた。
しかし電話を入れてみると「解禁でお客様が増えまして、29日までは予約で一杯でございます。」他にないか、と聞くと長生館を紹介してくれた。
こちらは「鮎戻るころ」と称するコース料理、鮎は、塩焼きと釜飯風が出てくるらしい。少し値段がはるが、よかろうと予約。「二人。」と言ったところ、むこうは当然夫婦か恋人同士と思ったらしく「お泊りではないんですか。」とびっくりした様子だった。

梅雨時で雨が心配されたがそんなこともなく、9時半に近くに井荻で待ち合わせ出発。「このところ、荻窪周辺ばかりだから楽しみにしていたのだよ。」とA君。鈍行で行くつもりだったが、所沢で目の前に特急が到着したので思わず乗ってしまった。快適!彼は、西武線沿線は余り来ないらしく、飯能を越えて山に入ってくると興味津々のよう。「随分、家があるものだ。いいところだが、彼らは買い物はどこに行くのだろう。」などと話していた。
秩父で秩父鉄道お花畑駅に行き、30分くらいの待ち合わせ、結局は予定の時刻に長瀞着。
「長瀞の渓流下りは中止です。」とお花畑駅に掲示。
長瀞の渓流下りは有名である。ガールフレンドのBさんと3年か4年前経験し、なかなか楽しかった。
駅員に聞くと、昨日大雨で河が増水したため運休です、とのことだった。

長生館は、大正4年開業の多分長瀞一の老舗であろう。
若山牧水は大正14年に滞在し次の句を残している。
「渓の音 遠く澄みいて春の夜の 空けやらぬ庭に 鶯の啼く。」
旅館のホームページにはさらに
「戦争が始まると自給自足の時代になります。従業員は農業をして暮らしました。戦争末期の頃には東京のいろいろな会社の疎開先となりました。」
昭和24年に高浜虚子が宿泊し、「これよりは尚奥秩父鮎の川」なる句を残している。
昭和58年、3代目になって建物を一新し、大広間からはガラス越しに景色が堪能できるようになり、昭和天皇ご夫妻の行幸もあったとか。

実は私もこの旅館に思い入れが無いわけではない。
私の母は、大正6年生だったが、ここの先代のオカミと中学校同期だったらしい。一方私の父は、洋画が本職に近いくらいうまかった。個人的に時々売れたこともあった。オカミが我が家に来た折、父の絵が気に入って買うことになった。旅館に飾りたい、と言うのである。商談が成立した。ところが発送の段になって、父が母に言った。「やっぱりあの絵は売れないな。断ってくれ。」母が、間に立ってこぼしていたことを覚えている。母も亡くなってしばらくしてから、一度父を連れてきて、流しそうめんを食った。オカミは引退したが、元気であると言っていた。

座敷に通してくれた。ゆったりとした和室、ガラス戸の向こうには荒川(ここの川は下流で荒川になり海に注ぐ、と聞いた)とその向こうの山々が緑に燃えている。
「相手に相当不満」だが、お互い様。冷酒と共に料理が次々運ばれてくる。鮎は川で養殖したものを使っているのかもしれぬ。A君が鮎の壷抜きを試みた。塩焼き鮎の尾を取り、身を押して骨と離し、頭から引き抜こうとしたが、頭が取れてしまった。「天然物はうまく抜ける」と彼は言うのだが・・・・。しかし全体味は非常によろしい。鮎飯など香ばしくどうしてこの味が出るのかと思った。献立を書いておこう。
季野菜 夏野菜トマトマリネ   椀 とうもろこしスープ仕立
造り 夏魚サラダ作り【オーガニック黒胡麻ドレッシング】  焼き物 鮎塩焼
焚合 新じゃが田舎煮 鰊(にしん)なすび  留 鮎めし土鍋仕立 汁 つけもの
デザート かぼちゃ黒糖アイス 季の実

仲居の話では、あの二代目のオカミは昨年亡くなったそうだ。93か94歳くらいだったのだろうか、人は年々変わってゆく。終わって風呂に入る。河原に露天風呂が併設されており、荒川を十分楽しめる。「本当は2時間ですけど、お客もいませんからごゆっくり。」の言葉に甘えて、ぐにゃりとなった体を畳の上に横たえる。すっかりいい気持ちになって、2時過ぎに宿を出る。
駅前商店街は、鮎塩焼き500円だの、たまねぎ一袋1000円だの、お汁粉だの、コーヒーだの色々売っている。しかし客がいないから従業員も見えぬ。コーヒーショップの中ではおばさんたちが世間話に興じていた。なかなか商売は難しいようだ。5時頃井荻に戻る。片道2時間半、新幹線なら東京から京都までゆけそうだ。鮎もうまかったが、一日電車にだけ乗っているような気がしないでもない。

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