791「敬うもののなくなった時代」(8月14日(金)晴れ)

ちなみに若者に「あなたは誰を尊敬していますか。」と聞いてみたまえ。
せいぜいお父さんとか、お母さんとか、そうでなければ、昨日書物で読んだだけの偉人の名前を答えるくらいが関の山ではないか。

神様は崇敬の対象だった。それが現世に現れたとする天皇陛下も崇敬すべきものだった。
ことの是非を問うているのではない。とにかくそういうものであった。それが神様なんていないと分かり、天皇が人間天皇を宣言し、必ずしも崇敬の対象ではなくなった。神様の不在で宗教が信じられなくなった。あんなものは坊主や司祭に飯を食わせる手段に過ぎない。
奇跡もあの世もありはしない、あれは現世の人間をだます小道具に過ぎない。
軍人も大臣も尊敬されなくなった。日本を敗戦に導いたのは軍人だ。尊敬なんかに値しない。
いまどき武器を持つなんて下等な人間のやることだ。国が守られるのは当然だが、そんなことはやりたいやつに金を払ってやってもらえばいい。大臣は政治家の成れの果てだ。自分の利権を守ることばかり考えている政治家など下等な職業だ!
学校の先生は尊敬する存在か。民主主義が生まれ、先生なんてまずは生まれているに過ぎない。
文句があればどんどんいわなければいけない。教育は、自分の都合いいようになおしてもらわなければならない。親の態度はもちろん子にも植え付けられた。
社長さんや部長さんは一時期尊敬する存在だった。とにかく日本の復活を支えてきた!あんな人になりたい。しかしなったって苦労が多いだけだ。本はと言えば同じ人間、家庭に帰れば妻や子供に手を焼く男に過ぎない。努力してそんなものになって何がいい!

残ったのは父や母のいる家庭だったのかもしれない。しかしそれも崩れてきた。家と言う考えの崩壊の下に・・・・・。ゴーギャンの言った「我々はどこから来たのか、何者なのか、どこに行くのか。」そんなことはどうでもいい。とにかく今が大事なだけだ。父や母は役目を終えればさっさと去ればいい。墓なんてどうでもいい。
家庭は父親を中心に母親が補佐をし、子供たちを育ててなりたってきた。女は大変で「三界に家なし」なんていわれた。幼くして親に仕え、嫁して夫に仕え、老いては子に従う。今では夫が月給運搬鳥に成り下がり、威張る理由はないと権威がなくなった。母親の態度を子供が見ているから子供も父親を尊敬しなくなった。そして何でも、はいはいといい、優しい物分りのいい夫だけが好かれるようになった。

民主党が、日本国旗を切り貼りして党の旗を作った。麻生総理は国旗に対する侮辱だ、と非難し、民主党はけしからん、しかしたいしたことではない、と逃げを打つ。
議論の当否はともかく、私はやった本人の考えを気にしている。あれは絶対に故意にやっている。日本に価値を認めず、なくなってしまえばいい、くらいに考えてやったに違いない。
私にとって日本は、自分のアイデンテイテイみたいなものでそれなりに大切であった。崇敬すべきものであった。その象徴である国旗は、やっぱり大事なものだった。
しかし日本そのものに価値を認めないと言うなら、話は違うかもしれない。国家の理想は、社会保険組合みたいに物、つまり国民全体で儲けた金を、税金や積み立てと言うシステムを作って徴収し、分配し平等化する、それによってみんなの健康保険や老後の生活を保障する、しかし顔は見えなくてよろしい、傘下の民は平和と生活保障をと叫ぶ流浪の民みたいなものなのか。そういう考えは、一部の人は良くても私は嫌だ!今度の選挙は革命的だ、と言う人もいる。革命の後、日本さえ尊敬の対象でなくなることを恐れる。

何も、誰も恐れる必要がなくなった。尊敬に値しないと分かった。それなら一体何を目標に我々は生きるべきか。価値判断の基準をどこに置くべきか。尊敬するのは自分自身。その自分の欲望がどこまで満たされるかが問題なのだ。結果、みなdemandingになり、それが満たされないのは、社会が悪いということにしてしまう。しかしその要求をすべて受け入れられるほど社会に許容量がないことは確実だ。
自分の隠された欲望を満たすために、世間的には正義の仮面をかぶって行動する人が多いように感じられるのはなぜだろう。心に中に秘めた欲望と口に出していう社会正義。しかしその二重構造は、情報の発達した現代ではすぐに透けて見えてしまう。そこが「敬うもののなくなった時代」の根本かも知れぬ。
庶民が、尊敬するものがなくなって、自分中心にのみ考えるようになるのはある意味で当然かもしれぬ。しかしこの社会の行き着く先は一体どうなるのだろう。

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