今年も沢山の年賀状が送られてきた。
メールなども普及しだし、年賀状の売れ行きは少しづつ減ってきているという。
経営者がオカミになろうが民間であろうがどこの世界も売り上げを伸ばすことが至上命令。年末には、郵便局員が街頭にまででてセールスをやっていた。
もっともずるい私は、安売りチケットショップで1割引でとっくに仕入れていたけれど・・・・。
しかし私自身は、年賀状くらいはあっていいと思う。出し続けたほうがいいと思う。社会とのつながりを維持してゆくために・・・・・・。
年賀状葉書一面は随分いろんなことが言えるのだと思う。
ご夫婦がトルコカッパドキアを旅している写真を使った年賀状。
茸のように突き立った3本の岩の下にご夫妻、これだけで「私たちはまだ健康で海外旅行などで余生を楽しんでいます。」と伝えている。
芝生の上で遊ぶ男の子の写真を載せた年賀状。この子とともに毎日奮闘しています。楽しい家庭を築いています、と伝えている。
墨痕あざやかに「いろり」と書き、その下に「ほんのり輝くいろりを囲み語り合う山里はありがたいです。どうぞお大事にお過ごしください。ナムナム。」僧籍を取られた方だが、どのような生活を暗示しようとしているのか。
「昨年5,6月、アメリカを縦横断ドライブしてきました。しかし連中は独立心が強いですね。どこかの国とは随分違います。」
時局へのコメントといえば某氏
「政権交代により過剰な公共投資から社会福祉へと政治が大きく変わるという期待が高まりますが、国債発行収入が税収を上回るという破産国家並みの財政状態にあっては、あるべき姿に日本を改造してゆくことは至難の業のように思われます。」
別の賀状の欄外に「船旅に出かけました。新しい船は舵なしです。驚きました。」
・・・・・・困っていることは分かるが「海図が描けぬ上に、独立心もどうも希薄な日本」、とりあえず今年はどうなることやら。
私の通信についてこんな意見があった。
「いつも読ませていただいています。結構意見の違うところもありますが・・・・・」
当然であると思う。通信はいつも私の独断と偏見に満ちている。無視していただいても、馬鹿言っていると思っていただいても、メールで文句をぶつけていただいても結構です。
ところで年賀状は葉書を使わなければいけない、というものではない。
Aさんは、毎年A通信なるものを送ってくる。A4版の大きな紙面にきちんとレイアウトし、絵なども入れて楽しい新聞風になっている。
その近況欄・・・「忘却とは忘れ去ることなり、忘れえずして忘却を誓うことの悲しさよ」これは有名なラジオドラマの冒頭の言葉である。しかし最近の自分はというと「忘却とは忘れ去ることなり、覚ええずして忘却と言い張る心の悲しさよ。」の方が良く当てはまる。」・・・まったく私も同じ症状。
「この通信もそれ自体そんなに必要性が無いが衰えを食い止めるべく今年も作った次第である。そして今後この通信が途絶えたときは次のケースのいづれかと解釈の上ご了承たまわりたい。すなわち急にお迎えが来て旅立ったか、認知症になったか、体力気力が衰えてパソコンにむかえなくなったかである。」・・・これは私の通信に当てはまる。そう、通信もこれも自分自身のボケ防止のために行なっているようなもの・・・・。
作者の好きな漢詩も載せられている
「偶然発見明鏡裏 悄然独立老醜翁 問彼何故纏我服 不終発答唯寂笑」
=ある日鏡の中に汚らしい老人がしょんぼり立っているのを見つけました。彼に何で私の衣服を着ているのかと聞きました。彼はついに答えず唯寂しく笑っておりました。
これは新年から寂しすぎましたかね、のコメント。
私の少しは元気の出そうな漢詩もどき。あの有名な漢詩のもじり。「老年死易楽成難 一瞬恍惚不可忘 既終池塘春草夢 今宵変蒟蒻棍棒」解釈はご自由に。
最後に年賀状はどこで「足をあらう」べきか。
結局は、「だしても元旦に来ず、返信のみが送られてくるものは、先方に積極的に賀状交換の意思が無い。」と判断して、次年度以降送るのをやめることになるのか。ただそれにより自分の社会に開かれた窓が一つ閉じられるわけで寂しいことだ。
註 ご意見をお待ちしています。
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