830「小沢氏VS検察、庶民の思い」(1月16日(土))晴れ)

このタイトルは、何か面白い劇でも見られそうな気がする。しかし多くの国民は、もう少し考えて、暗鬱たる気持ちに覆われている、と考える。「自分に厳しく、他人に優しく」・・・・私たち世代が、折にふれ言われていた金言だ。首相や国会の幹部ともなれば、とんでもなく偉い人だと教えられた。そういう人は当然そういう生き方をする、と信じてきた。しかし最近は「自分にやさしく。他人に厳しく」が彼らのモット−らしい。

私は、ここで余り事件の経過やそれが事実であるかどうかを細かく述べるつもりは無い。いろんな報道があり、庶民には、なかなか真実がつかめない。小沢氏の後援会「陸山会」が世田谷に4億円の土地を購入した。その金が政治資金規正法に規定されている「報告」に記載されていなかった。検察は、4億円の一部がゼネコンなどの企業から出たものではないのか、と疑っているようだ。法的には、たとえば小沢氏が相続で得たような個人の金なら、問題ないらしい。しかし状況から考えて、検察が疑いを持つのは当然だ。それに結局は陸山会経由で払ったなら、陸山会は、どこで小沢氏の金とゼネコンから得た金、政党交付金として引き継いだ金を区別できるのだろう。

秘書たちが逮捕されて行なった小沢氏の強気の発言にはびっくりした。小沢幹事長を始め、民主党は、野党時代、与党の大臣たちの言葉のちょっとした言い違いを大仰にとりあげたり、検察が少し動いただけで、証人喚問だの辞職勧告だの騒いだではないか。そのころ一度だって検察はおかしい、などと言ったことがあるか。わが身の話になれば急に方向転換!

「記載するのを忘れた、そのくらいのことは、従来は訂正すれば済んだ話だ。今回の処置は納得が行かない。」そして挙句の果てが「検察と徹底的に戦う。」
こっちが納得が行かない。税金の申告などこういう開き直りが認められるなら、楽なものだ。すっかり悪者にされたあのホリエモンだってそのくらいのことは言った。
罪の軽重について、たとえば「制限速度60キロ、この前は80キロで走ったときはつかまったが、初めてということで許してもらった。それが70キロで罰金とはひどい。」このような説明が警察官に通らないことは、一般庶民は、いやというほど知らされている。今回検察が怒った理由に、たびたびの出頭要請に小沢氏や石川氏が応じなかったことが揚げられているようだ。碁を打つ時間はあるというのに・・・・・。これも当然だ。交通違反だって出頭要請に応じなければ、当局が強制的になることは、いつも知らされている。それが怖いから要請に応じる、そういう権力があるから、国家の秩序が成り立っている。

検察は正義である、などと言い切るつもりはない。しかし世の中の審判のような役割を果たしている。国政を預かる者が、審判の権威をみだりに貶めるのは納得できない。「みなさんが支持してくれている。ゆえに我々は正しい。」というような言い方も気に入らぬ。国民は、小沢さんや鳩山さんの影の部分を知らされないうちに選んだのだ。そういうものが出てくれば、疑問を呈しても当然だ。「みなさん」というのもおかしい。47%の得票で72%の議席を取って勝ち取った政権ではないか。全員が民主党を支持しているような言い方はおかしい。
いまや権威を振り回しすぎているのは、寧ろ小沢氏本人や民主党ではないのか!

今回の態度でもう一つ気に入らないのは、鳩山首相だ。はやばやと「小沢幹事長を信じる。どうぞ戦ってください。」首相ともなれば、検察も含めた行政機関の長だ。それが早々と小沢氏に肩入れするような発言は、理解に苦しむ。民主党の議員たちの弁明もひどい。「辞める必要は無い。」「検察の横暴だ。」それまでどれだけ、こういった問題を種に、今までの与党を攻撃してのし上がってきたことか。まさに民主党が自浄能力の無いことを表している。彼らが今あるのは、うまく国民の流れに乗っただけ、人間としてはろくなものではない、ということを証明している。その中では渡部氏の発言が、比較的公平感を持っているように聞こえた。せめて自分のトップであろうと、あのくらい覚めた目で物事を見てほしいものだ。

最後にある人がTVで言っていた話が思い出される。「小沢さんに一度だけ会ったことがあるが、印象は、政治の道ではプロかも知れないけれど、そのほかでは子供みたいなところがある。」
真偽は知らぬ。しかしそんな人が日本のトップでは将来が思いやられる。

この話の結末が、どのような方向につくのか予測がつかない。秘書も含めて証拠不十分で無罪に成るのかもしれない。秘書たちだけの罪で終わるのかもしれない。そうなったら、可愛そうなのは秘書たちかもしれない。いずれにしろ、それは多分、検察が有罪たる証拠を固め切れなかった結果として、なるだけのことではないのか。陸山会がゼネコンに対して大きな利権を持ち、金を寄付させていた事実に変わりはない。とても人に威張って聞かせられるような代物にはならないように思える。

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読者から次のようなメールをいただきました。

全く同感です。
火事と喧嘩は江戸の華、大きければ大きいほどスペクタクル。
では、ありますが、小澤氏(民主党を含め)の傲岸さは驚くばかりです。
「日本は民主主義の国、検察の捜査は民主主義に反するやり方」だと小澤氏は恫喝していますが、はたしてそうでしょうか。
検察は刑事法の正しい執行を担う重要な役割を担っています(地検特捜は政治、経済に絡む難しい事件のプロです)
最終的には裁判所が犯罪の有無を裁きますが、裁判所に持ってゆく(立件する)のは検察が国民に負っている義務であります。裁判官は独立の機関としてその判決について責任をとらされることはありません、検察官も疑わしいと判断して立件することは独立の機関としてその裁量が保証されています。
検察が、法の番人の役割を時の権力者に面ねて放棄することの方がよほどおかしいと私は思います。
検察の捜査、追及が理不尽というのは特権意識の表れです。一般国民は誰しも、いつ検察当局に疑いをかけられる危険はあります。
そこで、検察批判」などできようもないし、堂々と検察に自己の無実を主張するほかありません。それでも立件されたら、刑事訴訟のもと被告人として反論を展開するべきです。(人は皆自分は犯罪は犯さないという自信はあっても疑われないという保証はどこにもありません、だからこそ訴訟手続きがきめ細かく決められています)
小澤氏こそ三権分立の民主主義の仕組みを理解していないのではないかと不安に思います。
鳩山総理が「検察と戦ってください」と言ったとか、まことに行政の最高責任者としての認識があるのか(法務大臣をして指揮権を発動しても本件をもみ消す意志を示唆したのか、恐ろしい)
要するに、捜査のやり方ではなく真実は何かと言うことに尽きると思います。権力を笠に検察批判をすることの方が疑いを増幅させるのではないでしょうか。。
小澤氏の箪笥預金(父親の遺産とも政党再編に伴う政治資金の承継とか言われていますが)だとしても政治家の個人資産は公開しなければならないとされてますので、たとえ箪笥預金であっても資産公開されてなければ、どこかからの闇献金があったと疑われても当然だと思います。
これからの展開が興味深々です。