寒い日。アメリカにも、ヨーロッパにも寒波が押し寄せている。これで地球温暖化が問題なの?
成人式、町には普段着ない振袖を着た女性が一杯。老人の目を楽しませるにはもってこいだ。しかしこんなときこそ、自分は自分流、自分は普段はスーツで通しているから、と我を張るような女性のほうがいいと思うのだが・・・・・・。彼らこそこれからの日本を作ってゆく主役、と思うのだが、一体何を考えているのだろう。時代遅れの私にはどうも見当がつかぬ。あの底抜けに笑っている姿を見るとなんだか異星人みたいに見える?
ガールフレンドのAさんが今日は一日空いている、という。この意味は「だからレクリエーションを考えて・・・・・」という意味。もう10年以上の付き合いだから、そう思いつく新しいところもない。結局、この前11月に出身会社OBで行った目黒の寺めぐりを行なうことにした。
蛸薬師から目黒不動を見て、それから五百羅漢。
まったく同じところを回るのだから、何か新味が感じられないように感じる。だから、たとえば海外旅行。普通は予算も時間も限られているから、つい今まで行ったことのないところに行きたくなる。しかし考えようによっては二度、三度行くから、知識が進化し、面白くなってゆく。今回も何か収穫は得られないか。
五百羅漢寺にある羅漢は、現在三百五体が残っている。それを羅漢堂と本堂に半分くらいづつ分けて展示してある。羅漢堂分についてはそれぞれ羅漢に名前がつけられている。
名前の下に注釈がつけられている。「自分に厳しく、他人に優しく」「笑いはみんなの幸福を招く。」「行動する前に考えることが大切」いろいろあったが忘れた。
名前や注釈は、これを作った松雲元慶禅師が考えたのか、あるいは後の世の人が考えたか、よくわからぬ。しかしごく自然の人としての心得を説いているように思えた。
Aさんが言った。「仏教とキリスト教を較べると、仏教の方がなんとなく親しみやすい。」
そう、なんとなく仏教には温かさを感じるのだ。一神教でありながら、なんとなく多神教的要素を含めた幅の広さみたいなものを感じるのだ。
この寺については813で少し書いたけれども、調べてゆくと中々面白い。
聖宝殿の奥に、原爆で散ったらしい女性たちの写真がぽつぽつと展示してある。
後で調べてみると、戦争中に宝塚出身の女性たちが移動演劇隊「桜隊」を結成し、広島に居た。しかしあの8月6日の原爆で飛ばされてしまった。5人が死亡、残り4人が脱出したがこちらもまもなく死亡。私の従女や叔父も同じ運命だったから身につまされる。1952年にこの寺の住職、桜隊関係者、徳川夢声等の協力で、「移動演劇さくら隊殉難碑」を完成させた。毎年8月6日には追悼する会が開かれる。
1988年に新藤兼人監督、ナレーター乙羽信子で「さくら隊散る」なる映画が作られた。
またそれと並んでお鯉さん、という和服姿のあでやかな女性の白黒写真が飾られている。
これも後から調べてみると、この人はもと東京新橋。花柳界の芸者で、日露戦争当時三度も首相を務めた桂太郎の愛妾、官邸に住んだこともあるという異色の人物。そのお鯉さんのエピソードは、彼女と親しかった井上忠明「らかんじ物語」に書いてあるとか。
大正2年(1914?)に、桂がなくなった後、カフェや待合などを経営していたが、勝気な気性で警察とトラブルを起こし、そのとき身元引受人になった右翼の巨頭頭山満の「尼に成れ」の一言で、昭和13年に羅漢寺の住職になった。そのころ羅漢寺は、住職も居ないほどの荒れ寺になっていたそうだ。お鯉さんこと妙照尼は、住職になった後も政治家や実業家たちの出入りが絶えなかったが、人柄によるものだろう。昭和23年69歳でなくなった。いまは「お鯉観音」として同寺に祀られている。
現在ではここは寺務所、書院、墓所などのほか集会場、「らかん亭」「らかん茶屋」なる飲食店などを設けちょっとした事業体、正確には「宗教法人羅漢寺」である。近代的なビルに生まれ変わったのは1981年のことで貫主日高宗敏の尽力による。
寺全体は私たちのような物好き?が多いのか、結構参拝客、見物客が来ていた。ただもう忘れられたのか「お鯉観音」目当てに来ている振袖姿は見かけなかった。
家に帰ってからの反省:
殉難碑もお鯉観音も見てこなかった。改めて五百羅漢のパンフレットを見てみるとこんない広かったのか、とびっくりする。本堂と羅漢堂の裏に「碑の小道」というのがあるのだそうだ。それに羅漢さんにばかり気をとられて、本堂の釈迦如来などもあまり見てこなかった。この次に行くときには是非注意してゆきたい。
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