839「朝青龍の引退」(2月4日(木)晴れ)

突然朝青龍が引退することになった。「あれだけ問題起こしたのだから当然でしょう。」等の声が大勢だが、ある程度朝青龍に同情する。暴力沙汰はいけないけれど、随分みんな彼の態度を論うものだ。新聞は過去の不祥事?一覧表まで掲げている。

ガッツポーズをするのが大相撲らしくない、という。しかし他のスポーツでは当たり前だ。
プロ野球:三振を取ったときの、ダルビッシュのあの雄たけびにみな「拍手を送るではないか。
水泳:北島が勝って「チョー気持ちいい!」・・・・こちらは流行語になった。
敗者に対してだめをおすようなシグサをするのが怪しからん?
他のスポーツでは良く見かけるではないか。スポーツでは勝つことがすべてである。
中には「限りなくクロに近い灰色でも、審判に言われなければそれでいい。」と寧ろ荒々しさを讃えるような風潮さえある。ラグビーやサッカーがそれである。
それを国技だからなどといって、あれがいかん、これがいかん、とケチをつけるのはその本質を知らぬ評論家である。朝青龍の立場に立てば「事件は事件。しかし示談も成立した。土俵と何の関係があるのか。」と開き直りたくもなる。どこかの世界では「秘書のやったこと。私と何の関係がある。」と自分の地位に連綿とする者もある!

朝青龍は自分流のところがあるのかもしれないが、勝つことに執念を燃やし、そのために色々考え、工夫している。彼は関取として格別に大きいわけではない。太っているわけでもない。それでいて立ち会うと勝ってしまう。日ごろから鍛えた体力とうまさがあるからなのだろう。張り手でいくべき相手か、絶対に上手を取らせてはいけない相手か、いつも考えている。たゆまぬ研究が勝利に結び付けている。逆に言えば多くの他の関取が、勉強していないとも言える。
今、またしても醜態を見せているのは、相撲界そのものではないか、と思う。
あの理事選挙の様子を見たか。ルールで決められていない以上、成りたいと思うものが立候補するのが当然ではないか。それを事前協議で散々しめつけ、挙句通ってしまうと「貴乃花に入れたのは誰だ!」と追求する。そして犯人がわかると、無理やり辞表を書かせる。ところがそれでは余りにも閉鎖的と外部から文句が入ると今度は慰留に努める。
今回の引退騒ぎも、理事会に呼び出して解雇すると脅し、ついに辞表を書かせるというやり方。小姑根性まるだしで、その功労に対して退職金を払うためだ、と聞こえはいいが、その実自分たちが朝青龍問題を今まで放置していた後ろめたさの代償のようにもうつる。

相撲界は、朝青龍の今までの相撲への貢献と、彼の引退に伴う被害について認識していない。
この引退劇をモンゴルなど力士の出身地はどう見るだろう。
「勝てば金はもらえるかも知れないけれど、あんな古臭い社会で働きたくない。どうせおれたちは外国人、芸者みたいなもので、気に入られなければ捨てられる。」
一般ファンにとってだって「強いものを排除した」中での勝負、なんて面白くない。
白鵬が素晴らしく見えるのは朝青龍がいて初めて、という気さえする。大体これだけ外国人が活躍していながら、彼らの意見がほとんど反映されることがない。理事に選べ、というのは無理かもしれないが、意見を聞く機会くらいはあっていいものだ。そうでなければ国際化など夢のまた夢だ。
相撲界は、相撲の国際化と日本の伝統競技で神聖なものという二つの考えを割り切れないまま進んでいるようにみえる。柔道を見るがいい。よしにつけ、悪しきにつけ日本古来のものでありながら、世界のスポーツに変わろうとし、そこに発展の源があるようにみえる。逆に相撲は本当に日本の相撲であり、一種の神事であると押し通したいなら外国人力士なんか辞めてしまうべきだ。

泣き言を言わせたいと記者は色々話しかけるが、朝青龍は「もう終わったことですよ。人生は長い。まだ29歳。相撲界にいられないがどこまで出来るか楽しみ。努力したい。」
そんな風に答える彼の表情には、何かすがすがしいものを感じた。いくら日本の伝統だのしきたりだの教えても彼の考え方は合理的であり、楽観的である。

後記1 早くも朝青龍の今後についてささやかれている。格闘技をやるのか、モンゴルに戻って政治家に成るのか、実家が裕福だというから実業家に成るのか、等々。声援を送りたい。
後記2 ガールフレンドのAさんは私の意見に反対で「引退して当然」との意見。あるサイトで投票を募っていたが、賛成、反対拮抗しているように見えた。傑作は国会の予算委員会で、小沢幹事長等の証人喚問にからんで自民党の質問・・・・「相撲界は自浄作用を発揮して朝青龍を引退させたのに、民主党はそれも出来ないのか。」
後記3 あれから1ヶ月余りが経った。世間は忘却するのも早い。もう朝青龍の名前を報道で見かけない。しかしバンクーバーオリンピック、ハーフパイプ国母選手の服装が問題で怪しからん、国辱ものとまた一騒動。分からないではないが英雄を望みながら、それが自分たちの趣味に合わぬと途端にこき下ろす、ムラ社会に生きた日本人の小姑根性をまた見たようでいやな気分になった。

註 ご意見をお待ちしています。
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読者から次のようなメールをいただきました。

私は、ガールフレンドAさんと同じ意見です。
格闘技では強いことは必要条件だと思いますが、それだけでは立派なアースリートではないと思います(十分条件に欠けている)たとえば、ラグビーこれは格闘技と思いますが、試合が終わったらノーサイド、お互いの健闘をたたえあうことに美学を感じます。ただ強ければ良いので有れば、熊さんを戦わせればいいのではないのでしょうか。
古今の名アースリートは実力に見合った(といううより、それだけ努力をした結果人格的に高い位置に立てたのではないでしょうか)、野球の松井選手やイチロウ、サッカーの中田など哲学者ではないかと思えるほどしっかりした見識を持っていて感心させられます。そういう意味で朝青龍には失望していました。(それだけ今の日本の相撲協会がだらしないということでしょう、親方の無能ぶりは眼を覆うばかりです)
それと、何故、日本相撲協会が公益法人として、存在がゆるされているのか、プロの興業団体はみな営利法人として課税されています。
ボクシングの興業など、品が悪いタイトルマッチなどありますが、それと相撲を一緒にしたくないと言うのが私の相撲に寄せる思いです。
国技といっても大リーグと同じように国際化することで、発展してゆけばよいと思っていますが。国技の神的な面の良さ(品格、伝統)は守ってもらいたいと願います。
同じモンゴル出身の白鳳の姿と全く違うようで、朝青龍の個人的な欠陥が露呈したように思います。