841「バンクーバーオリンピック」(2月19日(金)晴れ)

「昔、スペイン語の教科書で蟻とキリギリスの話があったのを覚えている。」
「いや、忘れた。」語学を続けているといってもこの程度だから、知れたもの。
「冬になってボロボロになったキリギリスが蟻の家に行く。「食べるものはありませんか。」すると一匹の蟻が「夏の間に何故食料をためておかなかったの。余裕はないわ。」ここまでがイソップの話。ところが別の蟻が「夏の間に歌を歌って、私たちを楽しませてくれたじゃないの。それで十分、こちらにどうぞ。」

スポーツや音楽に多額の金をかける・・・・一見無駄に見えるけれども必要なこと、何故といってそれが生きてゆく目的なのだもの、とガールフレンドのAさんは言いたいらしい。彼女は、バンクーバーオリンピックに夢中。テレビに釘付け。私のように「結果だけ見ればいい。」とは大違い!「それはそうだけれど、程度問題。余裕のある蟻の言う言葉さ。」と私は軽く反論。
ハーフパイプ:コーク何とか言うわざ、何でも空中で縦に2回転、横に3回転する演技、とてつもなく難しく、世界でも出来る人は少ないとか。服装で問題になった国母選手が言った。「人が何と言おうと、自分の演技を変えるつもりはなかった。あれをやろうと思っていた。」血に染まった歯を見せながら会見、どこか愛嬌が感じられた。国内ではそれほど知られていないスポーツだけれど、これでこの運動は人気が出るだろうし、国母選手は一躍英雄になるに違いない。スポンサーもつくのじゃないか。
男子フィギュア:高橋選手が言った。「ずっと前から4回転をやることを決めていた。」練習中に失敗したから3回転にするよう助言を受けたらしい。しかし強行。転倒してしまった。それでもその後頑張って3位入賞。表現力だけ見れば金や銀でもおかしくない、と感じられる素晴らしい演技。
二人とも同じことを言っている。見せるスポーツ選手は、所詮こういうことを目指しているのではないだろうか。冒険することに夢があるのではないだろうか。

それでいいと思う。誰もスポーツを始めるときに天下国家だの日本だの考えない。あくまで面白いから、集団で目立ちたいから、夢を実現したいから、ひょっとしたら金が儲かるから。いづれにしろ、ひどく個人的な理由で、個人的な努力を何年も続け、ほんの一部の勝ち残ったものだけが栄光の座を射止める。そういう世界だ。
これを一番よく表しているのが、ロシアに国籍を変えて出場した女子フィギュアの川口選手。夢実現のために国籍も変える、ひょっとしたら彼女の活躍とそれを前面に押し出して報道するマスコミの姿勢は、日本人の国家というものの見方に、一石を投げかけるようなテーマかもしれない。

ところで、TVの前で釘付けになっている私たちは、選手と根本的に違う。自分でやるわけではない。応援を体の中から支えているのは、日本人という集団への帰属意識。そして勝てばそこで元気をもらえるくらいのつもりでいる。
社会に出て出身地や学校が同じと成ると途端に仲間にあった気分になる。宗教団体に入るとそれだけで自分が選民になった気分に成る。あれと同じだ。
ポールに日章旗があがる。何と美しい旗だろう。日章旗を2枚はぎ合わせて党の旗を作って物議をかもした者がいたが、大半の国民は、とてもそんな恐れ多い気持ちは持たぬ。我々の旗!君が代も聞きたいなあ。「星条旗よ、永遠なれ」はもう飽きた!
選手が向こうに行って活躍するために多額の税金が支払われる。税金でなくても個人で寄付をする者もいる。それらは選手が個人個人で目標にむかって演技し、それを見て興奮し、感動するために支払われるもの、と解釈するべきか。選手の活躍に元気づけられるからこそ我々は蟻の生活を続けられる?

オリンピックにでたら勝つことが、選手の使命なのか、それとも選ばれたものは己の夢実現のため楽しむべき筋合いのものか。後者の考えになっていい時代と思う。そういう中でどこまで国費を投入しバックアップするかは国家の選択なのだろう。
追記 (28日)とうとう「君が代」は聞けなかった。女子フィギュア浅田選手は残念だったなあ。彼女は負けて涙を流した。これについて日本経済新聞に彼女のこれまでの努力と苦労に敬意を払う一方、メダルが取れればいい、入賞すればいい、楽しめばいい、と自己の目標を下げて満足するような風潮があることに、警告を発しているエッセイがあった。やっぱり勝ちたかったですね。韓国は、浅田選手に勝った韓国のキム・ヨナ選手を、国家をあげて応援していた、日本がそうすべきだ、との声も聞いた。この辺の判断は難しい。

註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha

読者から次のようなメールをいただきました。

中国韓国は莫大な金をつぎ込んで国家プロジェクトとして居るらしい。又一方
選手が自分の楽しみで勝っても負けても良い程度の親善祭りの気分で参加するのも
ひとつの考え方だろう。
我が国は何にでも金を使う。ODAしかり、年金調査しかり、ばら撒き手当てしかり
である。
そしてこのオリンピックにも選手のみでなく、役員や何か相当な人数を国費で送って
居る。
これがいけない、アレガイケナイというのではないが、なんにでもジャブジャブ金を
使い
それを増税という形で国民につけをまわす。
それでほんとうによいのだろうか。