844「梅の字とわかって得意の話から・・・」(3月2日(火) 曇り)

春に先駆けて、というべきか、春が来て、と書くべきか分からぬが、我が家の白梅は満開。
この分なら今年は梅の実が沢山取れそう、それでジャムを作って、とは食いしん坊の私。
庭には紅梅もあったのだが、何年も前に枯れてしまった。

習字の先生の展覧会に行ったとき、プラスチックのホルダーをくれた。
そのホルダーに墨で梅の花、左上に何やら妙な漢詩。
書道教室で先生が教えてくれた。「これは呉昌碩の水墨画と漢詩です。本物だとベンツが何台も買える値段。」「呉昌碩は、西冷(本当は三ずい、しかしワードにない。)印社設立の趣意書を書いた人、大変有名な人。」というが、分からぬ。
更に先生は、別の生徒の依頼で、その漢詩の臨書をしてくれた。
山険往絶 積雪皚皚 乾坤清気 一枝梅開
梅の字が判読しにくい様子「けもの偏に見える。」などとしていたが、家に戻って色々考えた。そのうちに梅に違いない、と思い至り、少々得意になった。
乾坤は、乾坤一擲という4字熟語がある。運命をかけて一か八かの大勝負をすること。乾は天、坤は土、一擲はさいころを投げる意味。その乾坤。皚皚は白皚皚という言葉がある。白白と広がっている、というような意味か。読み返してみると中々よい漢詩に見えてくる。
「山は険しく、人の行く道も絶えた様子。真っ白な雪があたりを覆う。天地に清気が満ちている。そこに一枝の梅が咲いている。」というような意味か。

最近、書店で「マンガ「書」の歴史と名作手本」「マンガ「書」の黄金時代と名作手本」なる文庫本を見つけた。余り面白くない中国の書の歴史を、無理にマンガ仕立てにした感じの本。時々は眠りながら、斜めに読んだが、最後に呉昌碩や西冷印社の記述をみつけ嬉しくなった。ウイキペデイアをあわせてまとめてみると
呉昌碩(1844-1927):中国の清朝末期から近代にかけて活躍した画家、書家、篆刻家。清代最後の文人といわれ、詩、書、画、篆刻ともに精通し、「四絶」と称賛され、中国近代でもっとも優れた芸術家との評価が高い。
浙江省出身で、曽祖父から父まで4代、郷試に合格して挙人となった名門家系。17歳のときに太平天国の乱にあい、一家が離散、苦労を重ねる。日清戦争の頃、県知事を勤めるなどもするが、次第に書や篆刻が高値で取引されるようになる。1903年に西冷印社を設立、初代社長に収まった。日本でも、辛亥革命以後、特に篆刻の人気が高まり、その作風を慕うものが多い。
西冷印社:浙江省杭州市街西湖に浮かぶ島孤山の麓にある篆刻専門の学術団体。西冷の名は対岸との間の「西冷橋」に由来する。1904年設立。印章の製造・販売や篆刻用品・書道用具の販売、書道関連書籍の出版・販売も行っている。また国内外の文人墨客・政治家などの印章を手がけ、その品質の高さに定評がある。日中戦争、文化大革命などで活動を一時的に中断されたが今も続いている。中国の書籍などの名品が海外に流れることを防止したことに実績がある。
呉昌碩が大変な人と分かったが、その書が上手なのか、というとよく分からない。

そういえば私の書斎にはアパートの客を斡旋してくれる会社がくれる鉄斎水墨画のカレンダーが飾ってある。やはり左上に同じようにミミズののたくったような文字で漢詩。鉄斎の字と呉昌碩の文字とどちらがうまいだろう。
鍾得至清気 精神欲照人 (鍾(あつ)め得たり、至清の気 精神、人を照らさんと欲す)
抱香懐古意 恋国憶前身 (香を抱いて古意を懐い 国を恋うて前身を憶う)
空色微開暁 晴光淡弄春 (空色、微かに暁を開き 晴光、淡く春を弄す)
凄涼如怨望 今日有遺民 (凄涼、怨望するが如し 今日、遺民有り)
ただしこれは鉄斎の作った漢詩ではない。この後に「宋遺民鄭所南詩」とある。
ウエブサイトで調べると、こんな人とのことまで掲載されているから嬉しい。どうやら宋の連江の人だったが、12世紀ころ蛮族元が南下してきて引退。宋遺民とあるとおり宋室を思う気持ちが強かったと言う。鍾をあつめると読むのが私にはものめずらしい。
ついでに富岡鉄斎(1837-1924)は明治、「大正期の日本を代表する文人画家、儒学者、日本最後の文人といわれる。」とあった。カレンダーに描かれた絵は「蘭石図」、岩にへばりついて咲く蘭の花の水墨画であった。

我が家の梅の花の話が妙な方向にずれ、最後は私の無学を暴露した感じになってしまった。呉昌碩と鄭所南、なんの関係もないが、少なくとも私に較べればずっと変化の激しい時代を生き抜いた人たち、ということができようか。

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