849「徳不孤 必有鄰」(3月21日(日) 晴れ)

春の嵐が吹き荒れた。「今朝の3時頃は怖かった。この家が飛ばされるのではないか、と思った。」とはガールフレンドのAさんの発言。朝6時に公園に行くと痩せた木が折れて、道路をふさいでいた。まだ風が強かったから私一人だった。
家に戻り、外にも出られぬと、半折を洋間の床の上に広げ、硯と筆を所定の位置に置く。
習字の練習。何を書くのかは自由である。文化教室のお教室などというものはその時間生徒のお相手をしていればいい、生徒は千差万別だからその要望に応じていかようにも致します、というスタイルのようだ。だから用意していかないと向こうも教えることが無く手持ち無沙汰に成る・・・・。この前など歌謡曲の歌詞を書いていった。

「徳不孤 必有鄰」(徳は弧ならず、必ず鄰(とも)あり)・・・・徳の右半分が難しくて苦労する。
論語の「里人」にある言葉である。この句を選んだのは、半折に一行だけのものを書いてみたかったからである。今まで2行、3行のものを書いた。しかし行が少なくなればその分、文字が大きくなる。その分欠点が目立つようになり、ごまかしがきかない。
半折は確か横30数センチ、縦1m30数センチ、一字を正方形の中に収めるとすれば、目一杯で4字、サインを入れる分を考えて、横25センチ程度を利用するとすれば5-6字というようなことになろうか。論語の大抵の文章はこれには長すぎる。一番短いものを探した。
この成句の前に「子曰」がつくがそれは省略。鄰は、となりという意味、隣とどう違うのか意味がよく分からぬ。もう少し広く友達と理解する方がよいそうだ。
「先生の言葉に「徳のある人は孤立しない。きっと親しい仲間が出来る。」と訳文。(日栄社 要説論語・孟子)また解説には「学問にはげみ道徳を身につけても人に認められるとは限らない。そのようなとき自分だけが孤立しているように感じることもあろう。しかしいつかは理解し、共鳴してくれるものが周辺に現れる、というのである。これは孔子の体験を語ったものであろうが、孤独感をいだきつつ学問を続ける人々に勇気と願望を与えてくれる言葉である。」

私は、自分流に現代流にこの言葉を解釈したい。
「あなたが周囲にあなたの徳を感じさせることが出来れば、自然に友達は出来るものですよ。」
「人はみなエゴイストと考えるべきである。」と最近至った心境。
自分の利益を図りたい、勢力を拡張したい、自慢話を聞かせて得意になりたい、自分の行為を認めてほしい、悩みを打ち明けたい、自分の寂しさを紛らわしたい、ただこれらは直接言うとしらけるだけであるから、天下国家のためであるとか、慈善であるとか、いろいろ理由をつけて他人に語りかけ、時には動かそうと計る。
世の中には、貧しい人のために、心から尽すひともいる、だから君は高潔な精神を忘れている、と非難する者もあろう。しかし私はそういう人でも心の奥底には、全部とは言わぬまでも自分の利益というものを考えるのだと思う。マザーテレサですら慈善事業に没頭することにより生きがいを感じる自分を認識しているのだ、と思う。
また自分の利益を図りたいのであるから、利益を図れないようなものには近づかない。それゆえに他人に近づいてもらおうと思えば、自分がそういう価値のある人間にならなければいけない、その意味では本に書かれた解説は正しい。

人という字が左右からささえあってできているように、人生に友達は絶対に必要である。特に年をとってくると・・・・・。実はここでいう友達は親兄弟も含む。親兄弟だって近づいて損する、と感じれば近づかなくなる!
あなたにアプローチする人はあなたによって利益を得たい、と考えているのであるから、利益を施してやることが、友人関係を長続きさせるコツなのかもしれない。それは居心地の良さであったり、ちょっとした親切であったり、情報であったり、お礼の言葉であったり、そういった些細なものまで含まれるのだと思う。逆に言えば決定的な積み上げてきたよい関係をぶち壊すことも時にあることを留意しなければいけない。

友人のO君には不思議な噂がある。「どういうわけか彼はもてるんだ。次から次へと女性友達を連れてくる。」その彼が彼女と40日間の太平洋クルーズに行った。プロに撮ってもらった写真を嬉しそうに見せる。みな彼女が輝き、O君はイブニングなど着てやに下がっている。「父と娘みたいだなあ。」というと「それは他の人にも言われた。しかしそれでいいのだ。俺は誰でも人に活躍させ、自分はクロコに徹するようにしている。」クロコに徹して相手のことを考える、ひとつの徳なのかもしれぬ。O君のもてる秘密を知ったような気がした。

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