850「入江為守書の歌碑」(3月26日(金) 晴れ)

23日に高等学校同期の仲間と熱海から岩戸山に登った。
その折、十国峠付近、見晴らしのよいところに、鎌倉幕府二代将軍源実朝の歌碑を見つけた。私は日記に書いた。
「折り返して11時30分右大臣実朝の歌碑。「鎌倉幕府二代将軍実朝は北条氏のたくらみにより、鶴が丘八幡宮前で大銀杏の影に隠れて待ち伏せていた僧公暁に殺された。」と昔歴史で習った話。その大銀杏が先日の大風で倒れて話題を呼んだ。
箱根路をわ可こえ来れば以津のうみや おきの小島尓波乃与る三遊
多分このように書いてあるのだと思う。以津=伊豆、三遊=見ゆ 難しく書くものだ。読みにくい。皇太后宮太夫入江為守書とある。知らぬ。」
碑の写真を撮ってきた。デイジタルカメラというのは便利なものだ。旅先で見つけた看板や碑はこうして写真を撮って後で見たり、パソコンで引き伸ばしたり出来る。

入江為守という人を知らぬ、と書いたのは気になった。パソコンで調べた。
こんなサイトが見つかった。
「子爵。京都生。冷泉為理の三男、のち入江為福の養子となる。幼少から父に歌学を学び、漢詩は森槐南に就いた。大正4年御歌所長に任命され、侍従次長、皇太后宮太夫を歴任した。また明治天皇・昭憲皇太后の御集を編纂した。多趣味で知られる。昭和11年(1936)歿、69才。」
するとあの碑は昭和のはじめか大正時代に作れたものなのだろうか。
彼の三男、入江相政氏(1905-85)も有名で歌人、随筆家。昭和天皇の侍従長を務めたことで知られている。
日本各地に彼の書いた碑が建てられているらしい。たとえば長野県小諸の懐古園には歌碑。
千久ま川  古城にそいて  いにしへを  かたりがほなる  水の音かな
また香川県三豊郡財田町鉾八幡宮には
財田  當加良堂能耶津可乃多里保閑利都美天太三農古古路毛遊多加奈流羅武
大正六年九月書  御歌所長子爵入江為守 (花押)
これはまともな神経では読めぬ。次のように読むのだそうだ。
「たからだの やつかのたりほ かりつみて たみのこころも ゆたかなるらむ
財田の 八束の垂り穂 刈り積みて 民の心も 豊かなるらむ」
「つまり豊穣のふるさとをよんだもの。まさに「たから田」」とあった。
やけに難しいが、中国から漢字が入ってきた頃、日本は当て字で文字を書いた。万葉集などがそれで、あれは原文は一字、一字漢字で書いてある。
ネットで入江氏の短冊が販売されていた。1本1万円前後であろうか。

書道を習っている。最初は漢字を書いていたが、私自身は「私自身が書く文章を書で綺麗に書きたいのだ。」くらいに考え、最近はひらがなにも興味を持っている。
いい題材が無いから小説の出だしや歌謡曲などを写していた。そこにこの資料、格好のお勉強材料ではないか、と考えて写真をもとに臨書してみた。
今日は書道教室があったから持参した。そして先生にお手本を書いてくれと頼んだ。
先生、一つ一つ丁寧に書いていったが、少し脱字が出たり、余ったりしてしまった。
すると相当興味を示したのが
「どうも太い筆だからいけない。大きく書いてみよう。」と半紙1枚に6字の割合で堂々と書き出した。そのうちに他の生徒の指導そっちのけで夢中である。「ではこの次にこれを真似て書いてくるように・・・・・」生徒も大変だあ・・・。
29歳である。大柄、子供の頃、野球をやっていたらしい。「ハナ金です。」というから、他のおばさんが「先生もどこかの女性とデートですか。」「いませんよ。」「そんなこと無いでしょう。」「どこかに落ちてませんかねえ。」書道教室も終わり夕食の魚を買ってマーケットを出ようとしたところ「どうも」とバイクに乗った男に声をかけられた。先生であった。

最後に付け加える。実朝の事跡は置くとして、この歌を歌った状況についてウエブが見つかった。「この歌は実朝が伊豆山権現と箱根権現を巡る二所詣をした時に詠んだものと云われている。 伊豆山権現〔熱海:走湯山〕は、伊豆韮山に流されていた頼朝が源氏再興の旗揚げをした場所であり、箱根権現は古来関東総鎮守の大権現として、(鶴岡八幡宮についで)信仰を集めていた。・・・」
大仏次郎など多くの文人がこの和歌について薀蓄を述べているとのこと。

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