ガールフレンドのAさんは「もうお花見はしたわ。」という。若い頃なら私にも少しは魅力があって、大抵の女性は、私とお花見なら2度でも3度でも、という気持ちになるはずだが、この年ではそうも行かぬらしい。妙に反発したい気分になって、「それなら俺一人でも花見をするぞ。」と決める。
家を出るときは東中野に行こうと考えていた。東中野をおり、神田川沿いに高田馬場あたりまで歩く。あの辺もなかなか桜がきれい。しかしスポーツクラブで一汗かき、外に出ると習字の教室で老人が吉祥寺に書道具店があると言っていたことを思い出した。それなら井の頭公園に行こうと考えた。あそこなら昼食も簡単。
回転寿司で腹を満たす。公園に下りる。今年は早く咲いたが寒く天気の悪い日が続いた。
おかげで桜はまだまだ持っている。今日あたりが一番見ごろ・・・・・私はうららかに晴れ、桜が満開になり、はらはらと散っているときが一番美しいと思う。
隣の家に大きな桜がある。よく父はこの頃になると「花びらが散ってきて樋につまり困る。」と怒っていた。父の怒りようがよほど心に残ったか、隣の私と同じくらいの年齢の未亡人はひどく腰が低い。この前も「今年もご迷惑おかけします。ご挨拶にも伺わないで・・・」と車から突然声をかけられてびっくりした。私ははらはら散る桜に「隣の桜でこれだけきれいなものが見られるからそれでいいじゃないか。」と考えたものだった。今日あたり、公園ではまさにその散る桜を楽しめる。
目立つのはまず人出。よたよたの爺さんばあさんから若者、子供連れまでみんなこの陽気に浮かれ出した感じ。公園に降り立って次に気づくのが池のスワンボート。湖岸に張り出した桜の中を、まるで雨上がりに発生した水すましみたいにうじゃうじゃ。そういえば力の要るボートは随分少なくなっている。
池の周りを歩き出して気に入らないのが、席とりのブルーシート。公園は現に利用しているものが楽しむべきなのに、許せない。シートを広げられては自由に歩けないではないか。占拠している連中がそのときに利用するのはわかるとして、昼間から長時間公園で楽しむ人の邪魔をするのは何事か、とシートの上を踏みつけて歩きたくなる。しかし場所によって運動部の学生見たいなのが番をしておりそうも行かぬ。ボクシングでも習っておけばよかった?
どのベンチも一杯だ。老人が一人で来て静けさを楽しむなどということは不可能に見える。人を掻き分けながら歩みを続ける。池の鴨などはもう大半シベリアの方にでも帰ったのだろうか。数が少ない。湖面を渡る風も、日差しも気持ちいい。しかし花見はやっぱり複数で楽しむもの。大学に入って初めて女の子を誘っていった場所、野口雨情の碑、遅の井の池・・・・・。
帰り道スターバックに寄った。テラスにある一番奥の席に陣取る。落ち着いて持参した本など読んでひと時を過ごす。実はこの席は私の好きな席なのだ。そこから道行く人々の様子がよく見える。それでいてこちらは余り見られない。読書に疲れれば彼らを種に想像の物語を作って楽しむ・・・・・。
歩いて帰ることした。吉祥寺から我が家は子供時代から知っているから思い出が詰まっている。反芻しながら歩みをすすめれば、なかなか楽しい道に見えてくる。早稲田通りに出て善福寺公園で一服した。井の頭ほどではないがここも桜が美しいし、相当な人出。入口付近にある席に座りぼんやり過ごす。気がつくと回りにバッグを担いだり、杖をついたりした独り者の年よりが多いことに気づく。人生結局一人、などと考えたりする。
井草八幡の境内を通った。ここはヒノキ、松、杉などが主体で桜は無い。桜がきれいなことは分かるが、何故ああ馬鹿の一つ覚えなのだろう。沢山見てきた後だけに鬱蒼とした木々に囲まれた参道の冷気が一段気持ちよく感ぜられる。ここも秋とのお祭りともなれば露店で活況を呈するのだが、今は人影も少なく青梅街道を行く車の音が聞こえるのみ。
4時近くになって我が家に戻った。株式市場はたいした変わりもなく・・・・。夜、Aさんと食事。スポーツクラブに行った折買っておいたイサキを塩焼きにした。
彼女はいつも自分で決めた時間に、これからお風呂に入るのだ、と私にサヨナラを告げて席をたつ。送り出した後、ふと我が家全体が随分明るいことに気がついた。隣の家が桜をライトアップしておりそのおかげで明るいのだ。その見事さに感動し、あわててカメラを取り出した私であった。
註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha