861「民主主義への疑問 2」(4月16日(金)雨)

「本当にいろんな考えの人がいるものですね。」
ラジオ体操でいつも一緒のお医者さんとの会話だが、世の中のことが分かれば分かるほどそう感じる。馬鹿もいれば利口もいる。知っているものも知っていないものもいる。男もいれば女もいる。若いものもいれば年よりもいる。ハンデイキャップもいれば正常もいる。税金を払っているものも、払っていない者もいる。泥棒もいればお回りもいる。自動車を運転するやつもいれば、私のように健康には徒歩優先とはなから決め込んでいる。
民主主義はそういったすべての人間に等しく一票を与え、地域や国の代表が選ばれる。選ばれた政治家は、この国をどのような方向に持ってゆこうと考え、政策を立案し実行する。ところがそれには金がいる。そこでそれを税金というかたちで国民から徴収する。一律には出来ぬから、金持ちに金を出させて、全体にばらまき、個人個人の権利が尊重される社会を作っている、というべきか。
いろんな人間がいるわけだから正しいようにみえるが、私は最近疑問に思うときが多い。税金を払わないやつが、何故あんな大きな口を利くのか。無知も知識の深い人間とともに一票なら、大半は前者だから、衆愚政治というやつに陥らないか等。私のサイトにいろんな意見をもらう。その答えのついでに詳しそうな友人に聞いてみた。

私の問いかけ
一人一票に何らかの形で差をつけるという考えはどうですか。
たとえば税金の納め具合とか、年齢とか、あるいは知識に応じてとか・・・・・。
荒唐無稽にみえるけれどもない考えでもないかもしれない、と最近感じています。

友人の答え
政治は、富の再配分という役割が有ります。富んでる人、自治体から貧しい人、自治体に税収を還元するシステムが国政の最大の役割ではないでしょうか。
東京都に住んでいる人は地方(過疎地域は特に)のために相当の負担をしているのは事実です。
日本全国どこに住んでいても同じサービスを受けられるべきという議論は、私は疑問に思います。(中国と違い移住の自由が有るのですから、地方間の競争を促進すべきです)
ケネディ大統領が言った「国家に何をして欲しいかではなく、国家に国民が何を出来るかを考えてほしい」ということを改めて思い出します。
税金を納めていない人が声高に国家に助成を求める、ポピュリズムのマスコミ、政党がそれに迎合する、違和感を感じるのは私だけでしょうか(少なくない税金を納めてきた立場としては?です)それでいて国家に一番面倒を見てもらっている階層に「反国家」が多いと言うのは全く皮肉ですね。
税金の再配分が政治の一番大事なことと思いますので、直接税を納めていない人の投票権は評価を下げてもいいのではないかと思います(たとえば二分の一とか)
課税最低所得を上げることが善政みたいな議論が有りますが、とんでもない、国に期待し何かをしてもらいたいと思うので有れば、たとえ一円でも国税を納めてから要求すべきだと私は思います。負担無きところに要求はないのではないでしょうか。(国際社会では常識)
それにつけても、現下の選挙制度は噴飯ものですね。最高裁が違憲意見をつけても一向に直らない。最高裁も憲法の番人とし選挙無効位の判断をしてもらいたいですね。
税金は全国一律に課せられ、都市の住民の選挙権は三分の一、五分の一ではかないませんよね。これこそ憲法違反です。選挙制度の抜け穴みたいなところを巧みについているのが「小澤」政治だと思っています。

ふと考えるのである。会社は利益を上げ、社員、株主、地域社会等に還元する機関である。それゆえに第一に効率的でなければならない。それゆえに会社からは能の無い人間が去り、株主からは資金に余力の無いものは去ってもらわねばならない。国家はそうはいかない。他国との関係においてはそのような側面もあろうが、基本的にはみんなのためでなくてはならない。おちこぼれをできるだけ避けねば成らぬ。みんなのために政策を実行するのであるからみんなから公平に選ばれたものでなければならない。しかし組織としてうまく機能するには会社的合理を求める部分も必要、その折れ合いをどうつけるかが大切なのではないか。一人一票は極端すぎるようにみえないか。

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