862「蓮台寺温泉」(5月6日(木)〔晴れ〕、7日〔金〕(曇り、時々雨))

男と女は一緒にいると楽しい。大体人という字は両方から支えあっている、だから支えるものがいないと淋しい。しかしいつも一緒にいると煩わしく感じるのかも知れぬ。
私も高校同期の友人A君も親しい女友達がいるのだが、彼女たちは仕事に忙しかったり、羽根を伸ばしたりで、こちらの相手をいつもしてくれるわけではない。
そこでフラレ者同士・・・つまり男同士温泉など行くのも悪くないと考えた。
彼は「温泉はお湯が沢山あって絶対に「かけ流し」がいい。」と主張する。
JTBの宿のうちお風呂自慢のものを探し、さらにかけ流しと書いてあるものを選んだ。
いくつか見つかったが、伊豆下田の一つ手前、蓮台寺駅近くにある蓮台寺荘を選んだ。

ギリシャの国債がデフォルトになる恐れがあるとかで株式が大暴落している。
そんな報道にはらはらしながらの一泊の旅。
彼は小田原駅にある魚国という魚料理の店が好きらしい。その開店時間に合わせてロマンスカーで行き昼食、そこから鈍行を乗り継いで蓮台寺駅。駅から15分くらい歩いた市街地にある。和風の落ち着いたたたずまい、後で昭和8年開業と知った。
山本周五郎が執筆をするために滞在していたのだという。彼の部屋が彼の多くの作品、思い出を探るDVDなどとともに保存されている。ロビー隣の休憩所にはオカミの趣味なのだろうか、良寛和尚の作品がずらりと並んでいる。
部屋は二階の実葛(さねかづら)。階段の登り口がもう部屋の入り口。外を眺めると下田との間を、開発されないままの小山が視界を遮っている。その新緑が燃えるようにまぶしい。庭を眺めると、庭一杯の池をはすの葉と花が覆い、それに藤が垂れ下がっている。風情のある光景、鶯の声が竹林から聞こえる。開け放しの窓から入ってくる五月の風が心地いい。温泉も食事も素晴らしい。
連休明けで客は少ない、貸切風呂に一人ではいる。入ると、お湯が湯船からさーっとあふれ出る、その快感を楽しみながら一人エツに行った。

夜中にふと目を覚ますとA君が起き上がっていた。
「同年齢では、もう死んだやつも車椅子のも多い。金はあの世に持っていけるわけではない。元気なうちに楽しまなければ損だ。」
株式市場の話が出だが、土日過ぎてから出ないと分からぬ。
若い頃関係のあった女性のことも随分話した。彼女たちは今頃どうしているだろう、会えば懐かしさがわくのではないか等々・・・・男同士だから話せるのだろう。
A君は「学生の頃からニヒルだった。どうせ死ぬ、生きている意味なんかあるんだろうか、とも思った。しかし痛いのも苦しいのも頑張るのもいやだった。だからラクして楽しめるように心がけて今まで生きてきた。人生なんて運だ。ついていた。」
私は「リタイアしてから、一見無駄なことが人生にとってなかなか大切なのだ、と知った。趣味であろうが、揉め事であろうが、女性であろうが大抵のことは経験しないよりはしたほうがいい。そこから何か学んだ方がいい。おれはまじめすぎたのかも知れぬ。」

翌朝、やや雨模様の天気である。時間があったので人力車に乗って案内してもらった。
ろくに案内せず、料金だけはしっかりとられた感じだが、蓮台寺について少し分かった。
蓮台寺温泉は、約1300年前に僧行基が開湯したと伝えられる。下田にある温泉には蓮台寺からパイプでお湯を供給しているのだという。そのためこちらは湯が豊富だが、あちらは時に循環使用するなどしているとか。
地名の元になった蓮台寺という密教の寺は400年位前に廃寺になったとか。100段余りの石段の上には大日如来があるというのだが、見る時間がなかった。
石畳の「蓮台寺湯の華小路」は観光用に作った散策道路、少し行ったところにわらぶきの家。米国密航を企て失敗した吉田松陰が、一時身を寄せていた村山家である。皮膚病の治療をかねていたらしく、村山氏は漢方医であった、という。
蓮台寺温泉はその昔は大層賑わっており、芸者なども沢山いたようだ。当時の写真館があり古ぼけた小屋に当時の宴会の写真、芸者の踊っている写真などが飾ってある。しかし最盛期には18件あった旅館も今は数件。
宿の前の道を昭和のはじめまで馬車鉄道が通っていた。奥に金山があり、そこで採掘した鉱石を下田港まで運んだのだ、という。宿に戻ってくるとオカミが待ち構えていて写真を撮ってくれた。なかなか気を使ってくれる。A君は「もう一度来たい宿。」と言っていた。私もそのように感じた。

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