高等学校のクラス会が母校のN会館で開かれた。
卒業して半世紀、今回のクラス会について、みなの思い入れを考えれば、テレビドラマが出来るのではないか、と思った。
「ビジー、お前懐かしいなあ、どうしたい、往年の名二塁手、お前とあの憧れのタコが幹事と聞いてこないわけにはいかなくなったぞ。」とB君。
ビジーというのは幹事のA君の俗称らしい。美治という名前だがそれを読み替えた。
そうか、A君は野球選手だったのか。母校は受験高校で、みな、目先の事で一杯、スポーツなどやるやつは少なかったし、大会なども盛り上がらなかった。野球も大体2回戦か3回戦くらいで姿を消した。だから私は彼が二塁手だったなんて全然知らなかった。
B君は、今回がほとんど始めての出席。就職して間もない頃のクラス会に彼が出席し、彼と二人で話したのを覚えている。彼はM銀行に勤めていた。「Cが出世頭だ。こういう会に出世頭は得意ででてくるが、他は出てこなくなる。おれは仕事だけが人生じゃない、と思っているから、これからもでてくるぞ。」しかし言葉とは裏腹にでてこなくなっていた。
自己紹介で言う。「酒は浴びるほど飲みます。それが健康の元です。」今のところスマートに見えるがみな心配「適当にした方がいいよ。」しかし今日も二次会で倒れそうに成るくらいまで飲んでいた。
酔っ払った、という点ではD君はモットひどかった。会場の外に出てコンクリートの上に倒れてしまった。駆けつけた皆が助け起こし、会場に連れ戻そうとするが、私は「ほうっておけ。しばらくそのままにしておけばいい。」本人は「大丈夫!」とわめいているし、陽気もいいから風邪を引くようなこともあるまい。彼がなかなか芯の強いことを私は知っている。「いちに歩く会」で歩行が遅かった。最後にはみんなは、彼を置き去りにして歩き続け、レストランに到着した。そこで宴会になったが、もうみんなが帰るころになって到着。「無断で帰っては幹事が心配すると思って・・・・」その根性に感心した。
彼は金持ちらしい。都心に自宅があるが、多くは箱根に別荘に行っているようだ。文筆業といっているが、私は彼の作品を読んだことが無い。漢文の知識が深い。今日も「漢書」を持ってきている。奥さんが作ったという「憲法9条を守ろう」との帽子をかぶっているが、コチコチ左翼でもない。よく分からぬ。しかしどこかに自分が受け入れられぬ不満があるような気がする。
次回の幹事をE君に頼もう、と思ったが断られた。「何故、このオレがやらなければならぬ。」
E君の言いように私は自分の親父を重ね合わせる。E君は自己紹介で「皆様の相談に乗って一日9000円いただいております。」自負のようなものを感じる。私の親父は、建築士で、絵描きで、音楽に造詣が深いことを得意に語っていた。しかしクラス会の幹事のような瑣末な仕事は絶対引き受けなかったと思う。その伝と思った。
Fさんが名刺をくれた。「**保育園園長」とあり、彼女自身のかわいいイラストがついている。この年になって女性が名刺をくれる・・・・私は彼女が「いまはこのように幸せに暮らしています。」という少し得意のメッセージを送っているように見えた。彼女は確か長年ご両親の介護で大変であった。介抱されて今は充実した人生・・・・心から喜びたい。
そのほかもいろいろあるが省略。ただこの会に出られるだけで、十分幸せというべきだろう。
幹事A君は、会場設定、葉書での連絡、二次会等誠心誠意よくやってくれた、と思う。しかも彼は今回大腸のポリープをとるという手術をやった後。私はこの前の会の幹事、女性幹事のGさんと次の幹事を誰にしよう、と考えたときに、どちらからとも無く彼の名が出た。おとなしやかで普段は目立たぬ。誠実で責任もってやってくれそうに思えたので、バラの花の餌に、だまし討ちみたいに押し付けた。
今回の女性幹事のHさんも保育園のようなものに勤めているらしく忙しい様子。しかし彼女は何より明るく積極的なのが素晴らしい。その性格がきっと彼を助けたのだ、と思う。
もう卒業して半世紀である。クラス会の幹事など、損得勘定で言えば断然損に見える。引き受けないことにしたり、引き受けてすっぽかしたり、いい加減にやったりしてもかまわない。たとえみんなから顰蹙を買ったところで普段縁のない人、知ったことではない。
私自身は最近「老いの寂しさ」みたいなものを感じている。そんな自分を認識するから「健康」「元気」で、幹事を務められるということは、喜ぶべきと考えるべきと思う。
舟木和夫の「高校三年生」はあのころはやった歌、半世紀後版はどう歌ったらいいのだろうなどと考えた。
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