予定も入っていない日曜日。日曜日は語学の放送がないし、平日会員の私はスポーツクラブにも行けぬ。人生はヒマツブシとか、それをすることすら出来ぬ。
喫茶店に行き、岩波文庫の「論語」を広げる。長女が大学1年のときに買ったものらしい。本人のサインがある。中にところどころ鉛筆で書き込み。しかしそれも最初の方だけ。30ページも行くと何も書いてないページが続く。本人は1年浪人してN大中国文学科に行った。「好きで中国文学を選んだわけじゃない。」など言っていたが、その言どおり、あまり勉強しなかったようだ。もっとも親も同じだから文句も言えぬが・・・・・。
「論語」は前に書き下し文で通読している。そのときにまとめたものが私のサイトに掲載されている。それを何故今もう一度読んでいるかというと、漢文のお勉強である。漢字のお勉強をし、中国の古典など親しむうち、漢文を読みたくなった。あの篤姫だってスラスラ読んでいたではないか。
老人の勉強なんて遅々として進まぬものだ。しかし少しづつ目標を帰ることなく積み重ねて行けば少しは進歩しようか。引退老人の特権、有り余る「時間」を生かすのだ。
さて漢文をすらすら読めるようになる本・・・・・案外ありそうでないのである。
私は、自身の性質をよく知っている。飽きっぽく、根気がない、目移りがする。
それゆえ面白く、すぐ達成考えられるようなものがいい。だから薄くて字が大きくて読みやすい本がいい。ようするに目標を低くし、自分自身にご機嫌を取って薦めるようなやり方。ま、いいではないか。私が、漢文が読めようが読めまいが、世の中には関係ないし、後10年か20年で灰になる身・・・・・。
最初は色々探した末、高校生むけの大学入試用参考書を買ってきた。日栄社の「要説シリーズ」、漢詩、論語・孟子、諸子百家・文章、十八史略・史記の4冊に分かれている。高等学校の教育のいつも歯がゆく思うところは、ほんのさわりしか教えないところである。源氏物語をほんの一部だけ切り取って教えても、文章の難しさばかり感じて、あの味を楽しむ余裕など生まれぬ。漢文にいたってはモットひどい。週に1時間程度しか授業がなく土台無理な話。
それでいて大学入試には出題されるらしい。多分1問だけ。その一問に正しく答えられるように学生は勉強するわけだ。中途半端なことおびただしい。
この4冊はそんな中、少しは中国古典を概観し、味わえるようになっている。原文、書き下し分、訳文がつき、用語の解説が行なわれ、エピソードなどもちりばめられている。
その次に慶応の教科書に使われているらしい「中国怪異小説選」、古本屋で見つけてきた。八木章好という人の編になるもので、捜神記、聊斎志異などから取っている。
話が面白いし、読みやすかった。蜂が書生に恋する「緑衣の女」など良くできている。いつかは蜂に戻らねばならぬ身、とうとうそうなって飛び去るが、蜘蛛の網にかかってしまう。書生が気がついてそれを助ける。喜んだ蜂が硯に身を投じ、体を真っ黒にし、半紙の上を動き回って「謝」の字を書いて飛び去った。
他に我が家に漢文のもので日本後記、日本記などある。昔、ふとした弾みで買ったものがある。しかしこちらは送り仮名はついているものの解説はなし、書き下し文なし。内容も硬すぎる。こういうものはまだ読む気がしない。
困った末、次に岩波文庫の「孫子」を取り出した。
これも二度目、少しづつ読み返したが、実用的な教科書、読み継がれてきただけのことはある、と再確認。孫子は、戦いの場や状況を説明する用語の作り方が上手である。この書は、一言で言うなら「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。」というところか。大分漢文にもなれてきた。ひっくり返して読むところなど、結構なれのようなものがある。分からぬ字も少しづつ読めるようになってきた。
そしてたどり着いたのがこの「論語」の再読、というわけである。
一番明るい席で読むが、少し老眼になってきたのか疲れる。1ページくらい読むと本を伏せ、ガラス越に、通り過ぎてゆく町の人を眺める。蜂でも何でもいいから、美女の一人が私に話しかけてくれればと思うが、そうは問屋がおろさぬ。
再び論語。孔子も釈迦もマホメットもイエスも世の中に伝えられている話は格好いい話ばかりだなあ。どろどろした話がさっぱり伝わっていない。孔子に女性はいたのだろうか。いたとしたら、その女性は彼をきっとよほどの頑固親父と見たに違いない。仁、仁、仁・・・・、そんなことばかり言っていたから、一生雇ってもらえる王室を見つけられなかった、女性にもてなかった、なんて考える。・・・私という俗物!
P.S 10日から1週間ほど中国に旅行してきます。
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