877「日本人へ・・・・国家と歴史観」(7月2日(金)晴れ)

老眼が少しづつ進行しているらしい。読書に裸眼を続けているがもう限界なのかもしれぬ。
どこかに書いたように、喫茶店で本を読む、のがしょうにあっている、一番通りに面した席に背を向けて座って・・・・。背を向けるのは外光が本の表面に当たるように考えて・・・・。少し読むと疲れる。仕方がないから本をおいて周囲や外を眺めてぼんやりすごす。
それでも毎日少しでもいいから読むように続けたい。少しが積もれば沢山になり、大抵の本は読みきれる。しかし問題は同時に物忘れも激しくなっている。そうして長い間かけて読むと読み終わる頃には最初の頃のことなど忘れてしまう。
そのため内容を自分なりに書き留めておくことは、後から非常に役に立つ。それに本を読みながら自分流で考えることが出来る。本を読んで考える、という部分は大切であると思う。ものを書くほうは色々考え、どうやったら自分の考えを読者に伝え、理解してもらうかに腐心する。それをTV放送みたいに読み流すだけでは失礼だ。
先日紹介した塩野七生の「日本人へ・・・・リーダー編」の続編。250ページくらいのこんな新書本を読むのに私は10日以上かかったように記憶する。最初の二つは既にどこかで紹介した?。

「硫黄島からの手紙」を見て」
日韓や日中と歴史認識を共有するために専門家たちの会議を開くことはムダである、と書いた。しかし宣伝とでも考えれば、歴史事実の共有という点でなら意味がある。アメリカやオーストラリアとこのような会議を開いてはどうか。

「靖国に行ってきました」
「遊就館」は日本側の歴史認識を示したものである。論争が絶えないのは論者たちが客観的で学問的で、それゆえ正しいとされる歴史認識を求めているからではないか。ヨーロッパ、中近東、北アフリカ等色々な戦争展示の施設を見て回ったが笑ってしまうくらい非中立的、非学問的なものが多い。「遊就館」がいけない理由はない。

「一人ぼっちの日本」
一番気になったのは出だし。「しばらく前のことらしいいが、歌手の加藤登紀子さんが言ったそうだ。「日本という言葉を発するときにたえず嫌悪のにおいが私の中に生まれる」と。それを伝え聞いたときに私は、心底から彼女がうらやましくなった。日本にずっと住んでいると、その日本を嫌悪する贅沢まで許されるのか、と思ったからだ。」正直言えば、私(阿笠)は加藤登紀子みたいな人物は、日本人を辞めてしまえばいい、位に考える。
これに対し、著者は日本を「一人ぼっちの国」と考えている。そうなった理由の半分は政治家たちの失政、もう一つは日本という国の宿命とする。地理的特殊性もあって、日本国民は殺られる場合を予想して、その対策に一向に目覚めていない、とする。彼女の提案は@一貫した経済政策の確立、A日本も他国並みに軍隊というはっきりした海外に派兵できるようにするため、憲法の改正を行なうべきだ。さらにAは日本人が自分自身を守ろうとしない国を守ってやろうとする国はどこにもいないと自覚すること、海外派兵によって軍事費軍事両分野で共同歩調を取れると海外に示すこと、をポイントに上げている。

「拝啓 小沢一郎様」
昨年の民主党政権が出来る直前に書かれたもののようだ。来るべき選挙で民主党が勝ち、政権をとることを予測している。その上で自民党と連立政権を作り、安定した政権を作るべきだとしている。「社民や国民新党と連立を組まないとやっていけないことになるでしょう。そうすればまず、社民がキャンキャンわめき始める。化石みたいな国民新党も黙ってはいないに違いない。そしてこれに民主党内の郷愁派というか守旧派が浮き足立ってくる。結果は選挙で支持された大政党が、一握りの票しか得なかった小政党に引きずられるという、有権者の意向の反映しない政治に向かってしまうことになる。こうなっては日本人は政治を見放します。」・・・・予測どおりの結果になっていると思わないか?

「密約に思う」

戦争に敗れたがゆえに失った地を、再度戦争に訴えることなく取り戻すのは、大変な難事なのである。このことはニクソンのアメリカ政府と交渉した当時の担当者若泉敬の著書の表題「他策ナカイシヲ信ゼムト欲ス」に言い表されている。他策などなかったのだ。だからこそ密なる約束でもするしかなかったのである。私にはこの当事者の生き残りを呼び出して詰問することからして、礼儀を欠く行為に思える。・・・・・今必要なのは、全員が現実を直視する必要に目覚めることだ。北方4島が未だに返還されないのも、密約作りが出来なかったから、であるかもしれないのだから・・・・。

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