890「終戦の日に思う」(8月16日〔月〕晴れ)

今年も終戦の日を迎えた。TV等は、この日にあわせて戦争の悲惨さを思い出させ、平和の大切さを訴える番組を作る。広島、長崎の原爆投下に続いてであるからご苦労な話である。
しかし時々ただそれだけでよいのか、と疑問を感じる。戦前あったものが随分失われ、その代わりのものを未だに見つけられていないように感じる。
天皇を中心とする考え方、儒教的考え方、国自身に対する意識、家族制度、そう言うものがすべていいなどというつもりはない。しかしすべてを否定しただけでいいのか。今の日本人は否定しつくして自分を失ってしまったままのようにもみえる。

TVでヒトラーが政権を獲得したときの様子を映し出していた。大衆のためなどとうまいことを言って国民の不満を吸い上げた。国民はなだれを打って彼を支持した。権力を獲得すると、彼は、途端にすべてを独裁政治にむけて変えてしまった。戦前の日本だって同じだ、西欧の日本いじめの背景、マスコミ、それらが日本国民を煽動した。国民は「雪崩を打って」政府の方針を支持した。注意しなければならないのは、トージョーは悪者かもしれないけれども、それを全体で見れば国民は支持していた、という事実。パールハーバーにもシンガポール陥落にも狂喜したのである。時としてTVは、手紙や手記を取り上げて国民は支持していなかったように思わせるが、大半は、負けが確実になってきた時の物・・・・マージャンを喜んで始めても負ければやるんじゃなかった、とぼやくようなものだ。
そうした上に立ってこれからどうすべきか考えるべきだ。一足飛びに世界平和などと考えなくても、自分たちが平和に生きるにはどうすべきかを考えるべきだ。原爆の悲劇は大変だったが、もう一度自分たちが食らわないように、何をすべきかを考えることが先決だ。

天皇を中心とする考え方はなくなった。しかし象徴天皇は残された。一方で一人ひとりの人権を重視した民主主義憲法が導入された。しかしその間の矛盾は解決されないまま。豊かな生活は保障されるものの、選挙権は与えられず、宗教の自由は曖昧なまま、義務だけが課せられ、行動はつねに監視される。雅子さまの悲劇は、そこが根本ではないか。また象徴とあがめながらご真影を学校に飾るわけでもない。この問題まったく解決されていない。
家父長制度が否定された。そして家庭は夫と妻が助け合って作るものとなった。この辺まではいい。しかし儒教の色濃い道徳が否定された。通常の場合、妻は夫を立てるべきか。親は尊敬すべきものか。平等なものなのか。学校の先生は尊敬すべきものだろうか。兄弟姉妹の関係はどのように序列をつけるべきか。
古い考えが否定されたあと、どうしようというのか確立されていない。結婚は個人のものである、という考えは、双方の親など無視し、ご先祖は知らない、墓は3代も続けば無用のものになる。そもそもが、理想の家庭とは二世代だけが住むものなのか。学校では学級崩壊が起こるし、職場では上司は必ずしも尊敬されなくなる。最後に残るのは自分ということになり、自分がよければそれでいいではないか、ということに成る。中国ではこれが行過ぎて拝金思想が蔓延しているとか。公徳心は失われ、「個性を出す」の名のもとに自己宣伝はちゃっかり行い、都合の悪いことはさっさと逃げる。
国家像についても議論が曖昧だ。全員の幸福ばかりを考えていればいいのか。全員楽をして高い給料をもらい続けたい、という点では一致しているが、先立つものは・・・・。まさに今政権が立ち往生しているように見える根本だ。国際化時代に即応した国家にしようというのか、それとも伝統的な日本を守ろうというのか。この問題が小学校の教育にまで影響する。英語教育か、国語教育か、しかし個人の脳は両方完全に満足させるほど大きくはない。ましてやこれにゆとりも入れてなどということになると・・・・・。
外交についてもそうだ。その典型的な例が防衛。平和は大切なことは分かるがそれだけ唱えていれば平和を保てるのか。出来ないとすれば日本を守るのは、日本自身なのか、米国に守ってもらうのか、それとも別の案があるのか、国民的合意に基づく結論が出ていない。もちろんこれが今回の普天間問題につながったわけだ。広島、長崎での菅首相のぶれた発言に表れた。

こうしたさまざまな問題に今まで日本は正面から向き合うことなく、是々非々の議論を重ね、問題を先送りしてきたように思う。戦後60年以上、そろそろそれが許されない時期に来ているのではないか。8月15日が毎年のように上っ面だけの反省でなく、本質的議論をするきっかけにしないか、と思うのは私だけだろうか。
時々、今の日本社会は戦前のように、何かのきっかけで、国民が雪崩を打って極端に走るのではないか、と恐れる。

註 ご意見をお待ちしています。
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読者から次のようなメールをいただきました。

A氏

家父長制度の廃止、結婚は両者の同意のみ、家も先祖も親すらも無関係
まあこの程度なら、賛否両論あっても不思議でない。
今度は結婚しても同姓でなくてよい。つまり氏の否定である。
イスラム社会のような○○の子、××の孫などという流れをひきづる思想はいけな
い。
今の本人が大切で、それに至るすべての係累は不要。
原則として犬猫の社会に近い。より自由では有る。
そういったことが高齢者の行方不明にもつながるのだろう。
倫理観の否定にもつながってくるのだろう。
個人が有って国家はない。「人栄え、国滅ぶ」方向では有る。
これも戦後教育の成果なのだろうか。

B氏

久しぶりに返信します。
今回のテーマは戦後日本の有り方、評価についての厳しい問題提起だと思います。正確に私の考えることを伝えることは難しいと思いますが
横町の隠居として、若干意見を述べます。
歴史は勝者によって作られると言いますが、まさにその通りだと感じています。
近くは、徳川幕府を倒した、明治維新政府、直近では占領軍の統治の正当性(憲法の制定を含め)など、すべて前の政権を否定することから始まっています。
最近の民主党の「政権交代」も何か少し似ているような感じがします(鳩山さんが平成維新と言った事は、龍馬を気取った事なのでしょうか。自民党の政策を全否定しながら、結局は無策に陥っている現状は眼を覆うばかりです)
私は、長崎の原爆投下でお婆さんと叔母を失いました(原爆手帳を持っている親戚は何人もいます)
でも、私は核兵器は現在の国際社会を冷静に見て、無くならないと思っています。長崎に原爆が落とされてから65年が経ちましたが、あれ以来原爆が戦争で使われた事は有りません。まさに核抑止力が働いたことの証明ではないでしょうか。(個人的な意見ですが、「刀狩」をやっても戦争は無くならない。通常兵器で殺されるのも核で殺されるのも差は無いのではないかと思います。兵器の問題ではなく、戦争を紛争解決の手段にしたら「損をする」という国際的な仕組みをいかに作る事が大切ではないかと思っています)
私は、日本は使えない兵器ですが、核武装をすることは専守防衛のこの国の防衛戦略として最も有効ではないかと思っています。(コストとその効果を理性的に考えれば)
昨日、甲子園の高校野球の決勝戦を見ていましたが、閉会式で、国旗を降ろしながら国家を斉唱している姿をみて、感動しました。(朝日新聞社が大会スポンサーなのに)
まだ日本もてたものではないかな。
追 
ヒットラーの話がありましたが、ユダヤ人を大量虐殺したナチス(これは戦争とは関係ない人道上の犯罪です)と日本軍部とを同一視する見方は全く受け入れることはできません。でも、ドイツは賢かったですね、戦争に負けたとたん悪は全てナチスのせいにしてドイツ国民はナチスに扇動された被害者にしました。ドイツ政府がユダヤ人に対して行った償いを参考に日本も見習うべきだという知識人?もいるようですが、事の性格は全く異なると私は思います。