902「人生とは・・大仰なことは言わないが」(10月8日〔金〕晴れ)

私はこのところなかなか忙しい。
朝は日記を書かねば成らぬし、ラジオ体操に行かねばならぬ。それが終わればラジオの語学の放送、株式市況のチェック、スポーツクラブ・・・・・。
そのベースに加えて、土曜日は高等学校同期の「いちに歩く会」で一日多摩川近くを歩く、そしてその日の夜はやはり同期で高円寺でカラオケ。日曜日は幸い何も入っていないが、夜「竜馬伝」を見なければならぬ。月曜日は習字のお稽古、火曜日は詩吟のお稽古、水曜日と木曜日で福島安達太良山に行く。さらに週末の土曜日は姪の結婚式・・・・・・。その間にときどき高校同期のB君が「昼飯でも食わないか」と誘うからそれにも対応する。
そんな私を見てガールフレンドのAさんは言うのである。

「随分暇なこと、ミンナやらなくてもいいことばかりじゃないの。そこに行くと私は忙しくて仕方がない。」
彼女は大学で教えている。だからそのために忙しいというのは分かる。しかし彼女だって日曜日は教会で忙しい。教会で出している冊子の編集をしているから校正などがあるのだ。「そんなの断ればいい。」というと「外にやる人が居ないから」とのたもう。そして「庭の草がはえてきたから抜かねばならぬ」「ダスキンがくるからそれまでにモップを使わねば成らない。」「パーマに行かなければならない。」「孫がやってくるから大変」「生徒に試験をやらせたから採点しなければならない。」「TVのこの番組とこの番組は見なければない。」・・・不思議に彼女の弁にかかると、私のやらなければならないことはやらなくてもいいことで、彼女のやることはやらなければならぬこと、に分類されてしまう。
B君も私の毎日を冷ややかな目で見ている。「そんなにスケヂュールで埋めることはないだろう。俺はのんびりしているのが好きさ。僕の彼女は、今日もお母さんの介護やお友達と食事に行くとかで忙しい。俺は孤独には慣れている。だからいつも「どうぞ、どうぞ。」と送り出してやる。彼女が居なくなるとなんだか開放された気分だ。」
人それぞれだなあ、と思う。しかし人生とは一体何なんだろう。目的というものがあるのだろうか。

やはり同期のC君は、私が詩吟を始めた、11月に発表会がありそこで「「海南行」を合吟る。」と書いたら、「「滿室蒼蠅掃難去」という転句は詩吟の中でも私の最も好きな一つ」である、と書いてきた。
人生五十、功なきを愧ず/花木春過ぎて夏既に半ばなり/満室の蒼蠅、掃えども去りがたし/起って禅榻を尋ねて、清風に臥せん
作者の細川頼之は南北朝時代の武将で、今の愛知県に生まれた。足利尊氏に従って転戦し、山陽一帯をしずめた。しかし息子義満の時代になって入れられなくなり、出家し禅門に入り、讃岐にもどった。そのときの心境を述べたものといわれる。
禅榻は禅家の長椅子で、座禅に用いる。後半は有象無象、うるさいわい、勝手にせい、おれはゆっくり休むぞ、といっているように聞こえる。
しかしそうして休んで毎日を過ごしたところで退屈・・・・。彼は讃岐に帰ってどのような生活を送ったというのであろうか。その心境が気に入った、というC君は毎日をどのように過ごしているのだろうか。もう「花木春過ぎて夏既に半ばなり」なかなか情熱も燃えにくい年齢ではないか・・・・・。

「悟るところなどないさ。しかし人生せいぜい後20年か30年、その間元気に楽しくやってゆこうよ、というのがオレの主義さ。」とB君。
私もほぼ同じような心境である。そしてあるときポックリ行って人生という舞台から退場して行くのが理想、元気、長生き、ポックリは世のため、子達のため、自分のため。だから体にだけは気をつけている。そしてTVで日本人二人がノーベル賞をもらい、しかも一人は私の先輩、アメリカで元気でまだ働いている、ということを聞き、随分差をつけられた、羨ましい、と感じる私・・・・。皆さんの場合はどうですか。

詩吟のDさんは私と同じくらいの年齢である。昔はX製薬で活躍し役員までやった。柔道の選手だった。しかし脳溢血か何かで倒れて少し言語がおかしい。余り元気がない。よく奥様と喫茶店でコーヒーを飲んでおられる。そのかれが「私は身の回りのものをそろそろ綺麗にしようかと考えていますよ。古い本を束ねて少しづつゴミに出していますよ。」

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