TVの放送の盗み聞き「女が一人で居るときに何をしているか知ったなら、男は結婚なんか絶対にしないだろう。」〔表現は少々違うかも知れぬ。〕其の言葉を聴きながら私は「逆も真なり」と苦笑する。しかし人間の一日の行動を調べてみると、圧倒的に一人で過ごす時間が多いのではないか。
そして考えてみれば生まれるときも一人、死ぬときも一人・・・・・もしかしたら死んだ後も一人、それゆえに其の一人で居る時間をいかに上手に過ごすかが各人の技術として求められる。
昔は今に比べて比較にならないほど一人で過ごす時間が多かった。
今江戸時代の御用番の日記を読んでいる。実に達筆で書かれている。書き損じなど一字もない。当たり前であるが、インク消しも消しゴムもない時代。上に出す文章、どんない長い時間をかけて読み返し、書き換えしたのであろうか。しかしそうすることによってお城で過ごす長い時間は埋められていた?
時間は、半日単位、1日単位で流れた。モット前は一月単位くらいで流れたのかも知れない。このような体験を、今の世の中でする面白い方法を最近見つけた。携帯電話と腕時計を持参しないことである。こうすると1時間単位、2時間単位で考えるようになる。
ひとりの時間。過ごす技術は、世代、世代によって異なる。
たとえば子供のときは、やはりお勉強であろう。そのため一番大事なのは、自分で考え、努力する時間ではないか、と思う。いつか子供の教育の話が出た。其のときの結論
* 勉強は結局一人でやるものである。授業を聞いても、塾に出てもそれだけでは進歩しない。大切なのは予習、復習、分からないところを考えること
* 親が教えなければいけないのは、一人で机の前に向かってもがくこと、特に小さいときに其の習慣をつけさせること。
お勉強以外の時間を一人で過ごすにも技術が居る。たとえば読書である。本というのは他人に代わって体験してもらうことであり、余り読むとそのうち頭の中でレンガのようになって内容を取り出せなくなってしまう、と有名な哲学者が言っていた。そうかもしれない。しかし何とはなしの世界を広げるし、一人の時間つぶしにも貢献する。
我々の年齢、まだまだ頑張っている人もいる。それはそれで素晴らしい。この前ノーベル賞をもらった根岸先生など其の伝だ。考えなくたって時間はどんどん埋まってくる。そういう人は、其の分野で存分活動し、夢を追っていけばいい。
しかし多くはヒマ、余分な墓までの人生を生きているに過ぎぬ。暇な時間があふれ、多くは金銭的にも何とかなる。問題は健康だが、これも悪くなるまでは大丈夫?それまでの間だけでいいからせいぜい頑張りたい。先の不安は考えずに・・・・。
自分自身がなにであるか、ともう一度考えることも大切であるように思う。「一個の動物である。」と考えれば、田舎に引きこもって農業などやるのもよかろう。
子供のときからの習い性の都会暮らしがあっているというなら「自分ワールド」を持つこともいいのではないか。それは趣味でも仕事でも日常の生活の一部でもなんでもいい。自分だけの世界・・・・そこでは自分が満足すればいい。他人との比較やTVに出るや出版するなど考えなくてもよい。功名心、名誉欲はもう忘れた方がいい。
私の場合は、ラジオ体操、語学の放送を聞くこと、スポーツクラブ、習字等それぞれの世界で得意になっている。読書も続けているが、最近は目のほうが少々弱くなってきている。得意になった痕跡は、自分の気分と元気が剥がれ落ちてゆくと自然に消滅し、墓に入れば完全に忘れられる・・・・。
台風が列島通過中でまた一日中雨。雨の中を荻窪まで歩いた。別にたいした目的があるわけではない。運動のため、ストレス発散のため、頭の中で何か考えるため・・・・。
喫茶店で少し「論語」を読んで時間を過ごした。昼食は別の喫茶店でピザをたべた。
果物がない、とリンゴを6つ買って帰ってきた。
夕方、ある書類に印がほしいと、工務店の野村さんがやってきた。「雨の日はいいや、皆さん家にいらっしゃる。」みなさんは暇な時間をどう過ごしていらっしゃいますか。
*人それぞれに悩む。時々聞いているNHKラジオスペイン語講座から・・・・・。
A mal tiempo, buena cara. (つらいときこそ、明るい顔で)
Manana sera otro dia.〔明日は明日の風が吹く〕
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