人間というのは贅沢なものだ。やることがないとこの世をひどく退屈に感じる。ちょっと仕事があると忙しすぎると感じる。仕事でも、食べ物でも、ガールフレンドでも・・・・・。程々がいいのだが、其の程々がなかなか難しい。暇な時間を埋める手段として、私は最近「映画」を再発見した。・・・・・新宿に行く。
昔は映画館といえば上映映画が一つしかなく不便だったが、今は多様な客を集めるため、朝と晩にかけて複数の映画を上映したり、ビルの中にいくつもの劇場を持ち、複数の映画を同時に上映している。新宿のピカデリーなども其の伝。夜人との待ち合わせがあるので、昼食をとったがそれまでヒマ。いつものように探しこの映画を見つけた。
アウトライン。江戸時代末期加賀藩の「御算用者」(ごさんようもの、現在の日本における地方公共団体の会計責任者にあたる)を担っていた猪山家。今は明治政府の会計関係の役人となった成之が父直之の仕事を思い出す、という形で描かれ始める。
米飢饉騒動。藩から出したはずの米がすべては農民に行き渡っていない。厚い帳簿を丁寧に突き合わせて、とうとう不正を見つけた。しかし不正を見つけられて困るものも居る。直之は一時は輪島に飛ばされそうになるが、監査のようなものがあり、不正が発覚、一躍其の能力を認められるようになる。
直之の結婚に其のまつわるエピソード。浅野川の友禅流しの様子などよかった。金沢は高校同期の友人の一人が嫁に行き、また自分も何度か訪問したから懐かしかった。
家督を継いだ父直之はやはり御算用方でそろばんがすべてであったが、我が家の家計を計算してみて驚いた。父と子の給料を全部返済に充てても何年もかかるほどの膨大な借金。対面などかまっていられぬと家の者を説得してすべて売り払う一方、質素倹約に努める。
子供の教育の仕方も興味深かった。論語を何度も読み書きする様子、それに御算用者であるからそろばんをきっちり覚えこませる様子が映し出されていた。江戸時代、教育はある年限から父親の仕事であったのだろうか。成之は、やがて家庭の小払いの管理を任されるが、あるとき2文足りなかった。これを徹底的に探させる父、河原で2文拾って帳尻をあわせようとした息子、それを河に返して来い、と雨の中を追い出す父、その辺の描きぶりがなかなか興味深い。「正しいことを正しいと教える。」案外、現代の親に出来ていないように感じる。
息子・成之の成人式の祝いに鯛を買いたいが買ってやれぬ。そこで絵に描いた鯛を膳に飾る。それでも息子は「鯛じゃ、鯛じゃ。」と喜ぶ。私は自分が小学校に入ったときのことを思い出した。終戦直後で教科書がくじ引きだったが、当たらなかった。そこで父は先生から借りて一晩で写してくれた。
これらに祖父の死、祖母の死、自分や妹の誕生、成之の登用、結婚などが入り込み、ストーリーは維新の頃に写る。成之は大村益次郎に使えるが一時殺されたとの報が入る。子供の安否を知るべく京都にまで行こうとする母親・・・・時代をよく描いている。
そして明治政府の役人になってもソロバンをパチパチ入れる成之。コンピュータ万能の時代に生きている我々には少し奇異にすら感じられるがそれが当たり前の世の中・・・・。ある意味では一家のルーツの話。侍映画でありながら、刀を振り回すことの無い映画。どこにでもある話なのかもしれない。
観客の一人が友人に語る声が聞こえた。「今日の映画は、途中でトイレに立てる。それほどひやひやするところが無いだろうから・・・・。」変りにパチパチというソロバンの音。「画面が暗い。」という声も聞こえた。しかし私には落ちついた安心してみていられるカメラワークに見えた。絶対見るべきだ、というほどの映画ではないかもしれない。しかし見てもソンはない映画のように思えた。
最後に少し余計なことを書く最近私は、満足に関する経済関数なるものを考えている。それは満足経済関数というもので、自分が投入した金額に対してどのくらいの満足が得られるかを数値で表そうというものである。
満足経済関数=(時間*満足度)/(費用)
たとえば映画の場合:(3時間)*(満足度)/1000円である。
満足度がどのような単位で計量するかは問題だけれども、借りにこの映画が10とすれば0.03時間/円であろうか。海外旅行は100万円でヨーロッパに10日行けば(240時間)*(満足度)/(100万円)=0.00024時間/円。それゆえこの映画とヨーロッパ旅行がつりあうためにはヨーロッパ旅行の満足度が映画の100倍以上で無ければならぬ・・・・・。
こう考えると映画はなかなか経済効率のいい娯楽でしょう。武士じゃなくてリタイアしたあなたの家計簿にも会う娯楽でしょう?
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