吉川幸次郎の論語上下を読んだ。論語は高等学校のときに漢文で学んで以来であったが、あるとき中国文学を選んだ娘が残していた岩波文庫の論語を見つけて読む気になった。更に詳しく知りたくなり、そこの本を見つけて読んだというところ。最近視力が落ちてきており、文字が小さいこの本を読むのには大分時間がかかった。
この本はこの方面の泰斗、吉川幸次郎が口述したものを尾崎雄二郎という人が筆記してまとめたもので9年かかったそうだ。論語を端から端まで逐条に説明、解説している。一読すると孔子のものの考え方、論語の意味等がおぼろげながら分かる。
この本の理解を補完するために論語と孔子という人物を中心にウイキペデイア等で調べる。
論語は漢代には魯地方で伝承していた『魯論語』、斉地方で伝承していた『斉論語』、孔子の旧家の壁の中から発見された『古論語』の3派があった。編の数や順序もそれぞれで多少、異なっていたが、後漢末期に『魯論語』をもとにして現在の形にまとめられた。
(ウイキペデイア:論語編集)
孔子(BC551-479)姓は孔、忌み名は丘、字は仲尼。幼くして両親を失い、苦学して礼学を収めた、とされる。身長9尺6寸、「長人」と呼ばれた。史記「孔子世家」によれば、52歳のときに魯の定公によって中都の宰に取り立てられた。さらに、その翌年に大司寇に就任したとされる。55歳のときに国政に失望して弟子とともに諸国巡遊の旅に出た。しかし孔子を受け容れる国は無く、69歳の時に魯に帰国した。その後は弟子の育成に専念し、73歳で没した。
孔子はそれまでのシャーマニズムのような原始儒教(ただし「儒教」という呼称の成立は後世)を体系化し、一つの道徳・思想に昇華させた。その根本義は「仁」であり、仁が様々な場面において貫徹されることにより、道徳が保たれると説いた。しかし、その根底には中国伝統の祖先崇拝があるため、儒教は仁という人道の側面と礼という家父長制を軸とする身分制度の双方を持つにいたった。(ウイキペデイア:孔子編集)
孔子の一生を端的に表したものは、「為政第二」のあの一節、コメントしながら述べてみる。
ただし「この章全体は七十を超え孤独になった孔子が、我が人生を振り返って言っているもの」という点を忘れてはならぬ。実際は、誰かの歌にあったとおり「道に迷っているばかり・・・・」であったのかも知れぬ。
「十有五にして学に志す」
このころ「儒」と呼ばれる人々がいて、民間の冠婚葬祭、とりわけ、葬儀に関与する職業集団であったらしい。孔子は、母方の家が民間での祭礼儀式に通じたおり、彼が生まれ育った周王朝時代の魯の国に伝わる周王朝の祭礼儀式を学び取っていたようだ。
「三十にして立つ」
孔子は「三十にして立つ」と語ったように三十歳の頃には学問の師として世に立ち、弟子達も周囲に集まってきていたようだ。ただし「仲尼列伝」に挙げられた弟子77人のうち年齢の分かっているものは22人、平均36-37歳年下である。多士済々だが、晩年、魯に仕えて以降の弟子ではないだろうか。そのころ何よりも当の孔子自身が政界への登用を願っていたようだ。「立つ」は、仕官運動を始めた、ということかも知れぬ。
「四十にして惑わず」
しかし政治の中枢に参画して自らが信ずる正しい道を実現したいとの宿願を魯の国内でもなかなか達成できず、また、隣の国斉に自分自身を売り込みにいってもうまくいかず、あせっていたようだ。そんな中で「惑うな。」と自分自身にいっていたのかも知れぬ。
「五十にして天命を知る」
やっと52歳になって、魯の国で中都の宰と司空、後に大司冦をつとめた。しかし敵対勢力の弱体化に失敗するなどして、わずか5年で魯を去ることになった。その後は衛・曹・宋・鄭・陳などの諸国を十四年間にわたり放浪した。この思いは魯で感じた言葉か、それとも放浪の身となって感じた言葉か?
「六十にして耳順がう」
あきらめの言葉に感じられる。六十八歳のときに妻が死去し、その翌年魯に帰国。同じ年に長男「孔鯉」が死去、孫の「子思」が生まれ、以後は、もっぱら古典の整理に従事する。
「七十にして心の欲する所に従う」
七十一歳のとき弟子の「顔回」、二年後に「子路」が死去。七十四歳にして孔子他界。
最後に、孔子は、中々立派なことを言っているが、欲と我執の人一倍強い人でもいあったようだ。日常生活にも口うるさく、19歳のときに娶った妻には逃げられているとか。そういえば「陽貨十七」には「子曰く、唯女子と小人は養い難しと為す也。之を近づくればすなわち不遜、之を遠ざくればすなわち怨む。」・・・・こういう孔子と論語をどう考えるかは、あなた次第。
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読者から次のようなメールをいただきました。
孔子の研究ではもう少し違った観点からのものがありました。本の題名は忘れましたが、おもしろいものです。確か文芸春秋社の「現代人の論語」とかいったようです。
論語には「人知らずしてうらみず」みたいな人に評価されずにいても平気だというような節がいくつもいくつも出てきます。それから「我用いられず、ゆえに芸有り」つまり
官吏になれなかったので色々したので器用になったなどと、およそ孔子で無いような発言もあります。
孔子は実は士官したかった。でも招かれるのは弟子ばかり、自分は絶対に呼ばれない。
それを内心すごく悔やんでいてしかし大家として悔しいとはいえないので、人に評価されずにいても貧しくしていても平気だ。それが君子というものだと何回も何回もしつこく言っています。
そういう君子の内面を書いた本です。
古来から我が国で尊敬されている孔子様を普通の人間としての解釈では昔は売れなかったのでしょう。日本の論語は孔子の倫理的な面のみの抜粋です。論語の中にはもっと違った面もあったのですね。恋愛論も俗物に対する嫌悪みたいなのも多くありますね。
それにつけても孔子平和賞とは笑わせますね。今年のジョークナンバーワンですね。