論語については通信の922で書いた。一つの本を何度か読み、考えているうちに、其の先にあるものを知りたくなるのが常である。論語についても、いくつかの疑問がわいてくる。
@ 論語はどのように成立し、どのような本で、どうして人々に愛されるようになったか。
A 日本では古くから信奉されているが、中国や韓国ではどうであるのか。
B 論語は漢文で書かれている。句読点のつけ方によって意味の変るものがある。それらは本当はどのように解釈すべきか。
C 全部読み通すと、およそふさわしくない項目や、意味のない話があることに気がつく。これらはなぜか。
D そもそも孔子とはどのような人物であったか。妻や子とはどのような関係にあったのか。
E あれだけ旅を繰り返しているのに、どのようにして食べ、弟子たちに食べさせたのか。またそれが出来た原因は何か。
F 孔子と其の弟子たちの集団はどのようなものであったのか。
そんな疑問を持っていて、書店でこの書(NHK出版新書)を発見したとき、何かの答えを出してくれるかも知れぬ、と買い求めた。
著者(加藤徹)は一般人に幅広く論語を知ってもらおう、との目的で書いたようだ。それゆえ気楽な気持ちで、かたをいからせず読むと楽しく、これらの疑問にもいくつか答えてくれた。
キリスト教にはバイブル、イスラム教にはコーラン、そういった聖典に当たるものがあるが、論語はそういったものではなかった。中国で最初のそれに当たるものは「書経」であった。論語はどちらかといえば子供向けに作られた二流の副読本に過ぎなかった。それも孔子自身の作品ではなく、弟子たちが、孔子に仮託して作り上げたテキストの感が深い。中国では、漢から唐の時代にかけて、科挙試験が定着し、そこで儒教の価値が見直された。そして色々な注釈書が表れた。この結果「論語」は前漢の末に漸くこのタイトルで呼ばれるようになった。
日本最古の「論語」は、徳島県観音寺遺跡から出土した「習字木簡」である。8世紀以降、漢文学習は盛んになったものの、試験地獄があったわけではなく、「論語」は、余りまじめには扱われなかった。源氏物語の不倫物語は儒教とは合わない! 武士の世の中となっても余り受け入れられない。父を殺す、主君を裏切るなどの思想が一致するわけがない。ようやくこれを愛読した武将が出た。加藤清正である。
中国で「論語」の地位が飛躍的に高まるのは、11世紀「宋」に所謂新儒教の時代からである。この時代に論語も儒教の最も重要な「聖典」の一つとなった。12世紀に朱子学が起こり、これが約400年遅れて日本に入ってきた。
朱子学に飛びつき、これを支配の道具として利用したのが徳川家康である。「政を為すには徳をもってす。譬うれば北辰の其のところに居て、衆星の之を共
(めぐ)るが如し」(為政第2) 家康は目指したのかも知れぬ。
「論語」は神もあの世も説かない。極めてプラクテイカルな側面を持つ。しかし其の自家中毒症状に中国は苦しんだ。発明の才にも漢民族は飛んでいるが、近代科学に後れを取った。其の戦犯はある意味では「論語」である、ともいえる。論語に見られる「易姓革命」思想など論語は時に支配者にとって都合の悪い思想も含む。日本で幕末の混乱を招き、明治維新に向かわせた事実は、論語が其の毒性を発揮した結果とも言える。
そのほかで興味を引いたところ。「民可使由之不可使知之」は、通常は「民可使由之、不可使知之」(民は之を由ら染むべし、之を知らしむべからず。)しかしこれでは孔子は保守反動的、愚民政策を取っていると受け取られかねないから、「民可使、由之。不可使、知之」(民の使うべきは之をよらしめよ。使うべからざるは之を知らしめよ。)などの読み方が中国のインターネットで流行しているとか。いかにも実利主義的な、と感じた。
「孔子一門はすぐれた戦闘集団でもあったようだ。門人の公良孺が,衛の国穂の地を通過したときの様子などで分かる。また孔子自身も馬術、弓術などすぐれた軍事的素養を持っていたようだ。戦術や作戦も得意であったようだ。」とする一方、「長い亡命生活に終始し、仕官できなかったのは有能すぎたからである。楚の昭王が迎えようとしたとき、重臣たちは、軒を貸して母屋を盗られることになりかねません、と語った。」とする。
なお墨家集団も武力を持った。墨子の絶対平和の思想を基礎に、反戦思想を貫いたが滅んでしまった。
そのほかに当初の疑問C、Dあたりも答えらしきものがあるが省略する。
「相撲の「ぶつかり稽古」で「胸を借りる。」と言う言葉がある。「論語」は、書物としては一流とは言えない。だが誰にでも胸を貸してくれるすぐれた古典である。」(編集)という記述が印象に残った。
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