959「身近な省エネルギー、省電力」(4月25日(月)晴れ)

ある人の話によると
「大規模工場などは、雑巾の水を最後まで搾り取ろうとするくらい、エネルギー削減に努めてきた。伸びてしまってきているのは家庭用エネルギーである。」
最近までエコポイント制度があった。省エネ家電を買えば、割引してもらえる、というものだ。
家電の売り上げには貢献し、メーカーと流通業者は大いに潤った、と思うけれど、果たして本当に省エネになったか疑問に思っている。
たとえば今まで14インチのテレビを持っていた人が、これに乗って32インチの液晶テレビに乗りかえる、画面単位面積当たりの使用量は下がるだろうが、画面は3倍以上になっているのである。きっとエネルギー使用量も増えているに違いない、と思う。
昔自動車の燃費使用量の統計を見て驚いたことが有る。同じ車の燃費はどんどん下げてきているが、車全体での一台あたり燃料使用量は増えているのだ。人々が豊かな暮らしを求めて、より大きな車を使うようになっていた。

東日本大地震で日本の将来のエネルギーについて原発に疑問符がついた。私自身はそれでも原発を利用する以外にないような気もするが、確信があるわけではない。しかしやみくもに「怖いからやめ。」という議論は有るべきではない、と感じる。
問題の根には「電気もガスも必要だ。しかし二酸化炭素を減らさなければいけないと、化石燃料の使用を抑え、原発を推進してきた。けれど効率のよさそうに見えた原発は危険なことがわかった。化石燃料も原子力もだめとなれば、自然エネルギーがあるが、どうも日本全体の需要をまかなうには足りそうもない。ではどうするか。」ということではないか。
需要と供給の双方から、本質的な対策を採る必要があるのではないか。私たちの出来る需要サイドについて、省エネルギー、省電力の工夫を考えてみたい。この場合、議論を全般的な工夫とピークカット用の工夫を分けて考えるとよい。

まず前者。石原都知事の「パチンコなんかなくてもいいじゃないか。自販機をどこにもかしこにも置いている。外国でそんなことをしている国があるか。二つあわせて原発2個分。」は案外的を射ているように感じる。しかしこの話は突き詰めてゆけば外にもあるように思う。それをどのように制限するかが問題。
自動車の話は、自動車以前に何故自転車の使用環境をモットよくしようとしないのだろう。何故鉄道輸送や路面電車交通を考えないのだろう。前者については歩行者と車のみ考えたように見える交通体系を自転車専用道路の確保など見直す必要があろう。駐輪場についてもJRを含めて日本全体として考えてほしい。後者についても色々工夫が考えられる。鉄道、バス、路面電車の自動車に比べた輸送効率の良さも見直す必要が有ろう。
自動車自体についていえば、電気自動車の普及も今一度考えなおす必要がありはしないか。電力を原子力でまかなうと考えれば、二酸化炭素は発生しないが、火力でまかなうとすれば、都会では発生しなくとも、発電所付近では発生する。地球温暖化にも貢献?する。すると問題は効率になる。最後に自動車を一定距離、動かすために、効率がどうなり、二酸化炭素発生量がどうなるか検討する必要が無いか。

家庭用エネルギーは「電気をこまめに消す。」は当たっている。LED電球も場所によっては省エネルギーになろう。またこれにつき、一つ省エネ策を提案してみたい。「家庭用省エネルギー配電盤」である。簡単に配電系統ごとに切断してしまう工夫、電力使用量を示すような工夫等大切に思う。
また電力使用量に直接は関係ないけれども、私は太陽熱温水器の普及をなぜモット薦めないのか、と思う。太陽光発電を家庭に普及するのはよいけれども、コストがかかり、コストパフォーマンスは余りよくないはずだ。これに比べこちらは設備費が安く、回収しやすい。二酸化炭素の削減には大いに貢献するから、其のういた分を他の、たとえば自家発電の普及などにまわせるではないか。

しかし実は重要なのは後者。この夏一人ひとりが一番考えなければならないのは冷房・冷凍につきる。工場や商店が格段この季節に活発に活動するわけでもない。家庭だって同様だ。そんな時期に電力使用量が跳ね上がるのは、ひとえに冷房あるいは冷凍だ。工場、商店、家庭、甲子園、すべての冷房や時に冷凍が電力使用量を押し上げ、ピークを形成する。しかしこの需要は、たとえば終戦後のことなど考えれば、豊かさが生み出した需要である。石原都知事流に言えば「昔はなくてすんだ」需要である。そしてそれが今大停電まで起こしかねない事態を迎えていると考えて対策を採らねばならない。

註 ご意見をお待ちしています。
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読者から次のようなメールをいただきました。

「有れば有るにしたがいて用い、無ければ無きにしたがいて安如たり」
便利なものはあれば使うが良いが、なくても我慢できるというような意味ですね。
先哲至理の名言ですが、若いころは反発しました。こんなことをいうやつばかりだと文明が発展しない。

あれがほしいこれがほしいというわがままが文明発展の基盤だと思いました。こんな人間ばかりなら電灯も発明されなかったんじゃないか、文明の敵だと思いました。しかし今歳をとり、よろずに老いぼれてきたら、考えが変わりました。
石原都知事の言葉がしみじみと真実に感じられるのです。 蓮舫がきゃあきゃあいって反発しているようですが、今の国家の現状にかんがみては「全てがまん」のときだと思います。