NHKで落語家が話す話を聞くともなく、聞いていたがあとから考えて面白いと思った。落語家の名は知らぬ。内容は大略次のようなものだ。
長屋の息子が試験で100点満点、5点をとった。学校の先生から呼び出しが来た。「こんなひどい点で、親の顔がみたい。」というのである。
「全部×ですね。それでどうして5点あるんです?」
「まあ、0点も忍びないので、名前がかけていますから、5点挙げました。」
すると馬鹿親は息子に向かい
「馬鹿だな、おまえは、もっとおおきな字で名前を書けば6点はもらえたのに。」
(問題)太郎は畑の芝を2分の1かります。次郎は3分の1かります。一緒にやるとどれだけ残るでしょう。
息子=やってみなければわかりません。だって二人が協力すれば全部出来るかもしれないけれど、喧嘩すれば全然出来ないかもしれない。
馬鹿親=全部おわるまでやらなければいけません。
(問題)81個のミカンがあります。3人でわけるにはどうしたらいいでしょう。
息子=皮をむいてジュースにすればいいと思います。だってミカンには大きいものも小さいものも甘いものもすっぱいものもあるでしょう。
馬鹿親=81個ものたくさんのミカンはジューサーにはいりません。
(問題)牛、馬、羊、猿、ライオン 仲間はずれはどれでしょう。
息子=わからない。
先生のヒント=干支ですよ。
馬鹿親=ライオンです。これがいるとほかの者を食べちゃうから、そっと仲間はずれにするのです。
(問題)織田信長を殺したのは誰でしょう・
息子=僕じゃありません
馬鹿親=これは正解でしょう。満点あげてやってください。
先生がとうとう言う。「一度あなたの実家を訪問させてください。」
馬鹿親が答えます。「結構ですが、それはまたどうして?」
先生いわく「あなたの親の顔がみてみたい!」
引退生活に入り、どうも考えが硬直化しがちである。
今までの習慣、世間のしがらみ、死後のこと、自分の体力、そんなものをつい考えてしまう。そしてそれによって自分の考えに垣根を作ってしまう。それが私は老いの兆候ではないか、と思う。
私の父は油絵が得意で、よく家族に批評を求めた。しかし家族が突拍子もないことを言うと「だから素人は困る」と不機嫌になった。
私は父を尊敬するがこの点は父の轍を踏むまいと心がけている。
この落語で、息子や馬鹿親は常識では考えられない答え方をしている。しかしこういう答えをだす発想も大切だ。考えようによっては、何年かまえにアメリカの心理学者が指摘した水平思考そのものではないか。
問題にぶつかると人はつい常識や経験で思考の垣根を作ってしまう。81個のミカンはみな同じものと考えてしまう。分割などできないものと考えてしまう。そしてこれは数で分けるものだ、と即断してしまう。特に年をとるとそうなりがちだ。ジュースにするのも一つのアイデアではないか。
考え方の垣根を破るにはどうしたらいいか。
人の意見を聞くこと、情報を広く集めること、物をあらゆる角度から見る癖をつけること、等々。要は努力と柔軟な頭を持つことであろうが、凡人にはなかなか・・・・。
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