新宿文化会館で「新宿区吟剣詩舞の集い」が開催された。
あの東日本大震災のおかげで、おおくの関連する大会が中止になる中で行なわれたものである。私の属する霞穂会のメンバーはほとんど出演。
開会の言葉に続いて「君が代斉唱」はいいのだが、続いて財団会詩「・・・・世界は一家みなわが友/願わくは斯道を興して人倫を正さん。」後ろの男が呟いた。「ここで笹川良一の歌を歌わされるとは思わなかった。」
大合吟。私たち霞穂会男子はいつものように「平常心」、先輩のAさん中心で行なう。大合吟には、所属の会員がほとんど出るから、なんとなく勢力関係?が分かる。洌風会という会派が一番多いようで50人くらい、全体では100-150人か。
いよいよ本番。私は今までにこのような大会で独りで吟じる、というのをやったことがなく神経を使った。演目は通信の947で紹介した空海の漢詩「後夜仏法僧鳥を聞く」、38番目である。
大きな声で歌う、思い切り力を要れ、抜かない、音程に気をつける、等注意した。
ストップウオッチと詩吟を書いたノートは最後まで持つべきか否か迷ったが、何もないに越したことはない、とそのまま思い切り吟じた。
吟ずるときにみな直立不動の姿勢をとる。他の人はは何の感情もないかの如く吟じる。私は最後の「了々・・・・」というところで、手をぐいと前に突き出した。「楽しめばいい。」くらいに考えたのが、今回は成功したように感じた。舞台の上に立ち、演じながら客の様子を見ると、一応熱心に聴いてくれているように見え、うれしかった。
仲間はBさんが「夜墨水を下る」、Cさんが「勧学文」、Dさんが「半夜」、女性二人が「楓橋夜泊」であった。「半夜」はとても力強く聞こえた。女性二人は朗々と美しい声であったが、白いコスチュームがすごくにあって見えた。
以下先輩の歌。昨年と同じような種類の歌が多かったが、今日は歌詞を書き出しておくと参考になるか。
Aさんは、李白の「山中幽人と対酌す」
「両人対酌して山花開く/一杯一杯復た一杯/我酔いて眠らんと欲す/卿且らく去れ。
明朝、意有らば琴を抱きて来たれ。」
尺八演奏のEさんは、徳富蘇峰の「京都東山」「三十六峰雲漠々/洛中洛外雨紛々/破?短褐((はとうたんかつ==破れ唐傘をさし、粗末な服を着た者)来たって涙を揮(ふる)う/秋は冷ややかなり殉難烈士の墳(はか)」
Fさんと私たちのG先生は、剣舞に合わせて吟ずる。
Fさんは、梁川星巌の「常盤孤を抱くの図に題す」「雪は笠檐(りゅうえん=傘のひさし)に灑いで風、袂
を捲く/呱呱 乳を覓(もと)むるは若為の情ぞ/他年 鉄枴峰頭の嶮/三軍を叱咤するは是れ此の声」
G先生は、平野国臣の短歌「我が胸の」
「我が胸の燃ゆる想いに比ぶれば煙は薄し桜島山」
短歌は2度歌うのだが、2度目は少しでだしを高くするようだ。お二人共朗々と歌い上げ、踊りも上手だったが、踊り手がもう少し若くてきれいなら・・・。
終わって近くの居酒屋で懇親会。Aさんの話など聞けてなかなか面白かった。彼の私の詩吟評。「いい気持ちよさそうに歌っていたな。しかし、あの最後の手は何だ。あれは審査大会などでは減点の対象だ。もっとも私の一杯、また一杯というのも身振り入りでやると面白くはなるのだが・・・・・。」
「詩吟は本来自由に歌うものであったと思う。それが全国の詩吟団体が、笹川氏の力でまとめられた。これに伴って長さは1,5-2分、直立不動の姿勢で歌う、等決められた。」
しかし何故詩吟は、昔の題目なのだろう。今だに「大楠公」だの「靖国の坂」であるまいに。自分の思いを自分で節をつけて歌うようなことをするものは出ないのか。
詩吟は演歌のようなものだ、とも思った。演歌は舞台で3分間自分のパフォーマンスをすることだ、と言っていた。其の精神は、詩吟も同じではないか。詩吟自慢で、ラジオ体操仲間のHおばさんは「いつか詩吟入り歌謡曲を練習したい。」と言っていた。
(30日)テープで我が家で私の詩吟を聞きなおしてみる。ひどいものだ。音程も節回しもひどい。そういえば関西のJ君が来られるかも、というから、メールをしたが見えなかったようだ。聞きにこなくてよかった、とても人に聞かせられぬ。
註 ご意見をお待ちしています。
e-mail address agatha@ivory.plala.or.jp
ホームページ http://www4.plala.or.jp/agatha/
読者から次のようなご意見をいただきました。
A氏
笹川さんは一世を風靡しました。色々標語がありました。
「世界は一家、人類は皆兄弟」そして有るときは「戸締り、火の用心しましょう」と。
いずれも耳障りの良い言葉ですが、「人類は皆兄弟なら何で戸締りが居るのか」そう質問したくなりませんか。でもこの笹川さんは色々なことに手を広げましたね。
吟詠も奥さんである「笹川鎮江」という人が有名でしたよね。
よく教育テレビでやってましたが、とてもよい声でしたね。いい着物をきてましたね。
ルール1−2分はよいですね。直立不動もいいですね。昔の東海林太郎さんですね。
別になりふりや笑顔はいらないと思います。声楽ですから。囲碁界にも昔梶原武雄九段という
吟詠の達人がいましたが、大家ですが少しひねくれていました。
この人に聞かせてくれというとそうかそんなに聞きたいかといって、長恨歌みたいなのをやるというので最後まで聞くのが大変だったようですね。本人は気持ちよく自分の世界に入り込んでしまうらしいのですが。そんな話がありましたのを思い出しました。
もうひとつおもいだしました。呉服橋近くの紅花という店で鉄板焼を食べると、コックがやたらに包丁を振り回します。西部劇のピストルみたいですね。無駄な動きですね。いつもそう思いました。
B氏(一部編集)
たまたま「笹川良一伝・著者:工藤美代子」を読んでいたので主要部分を紹介します。
笹川氏は私の父と同じ明治32年生まれということで、とても身近に感じました。
並はずれた才覚と精力で金を操り、人を動かし、昭和の激動を東奔西走。情に厚く利に通じた「昭和の怪物」、「政財界の黒幕」と呼ばれ「カネ」と「女」に明け暮れたということだが、そうでもなくいい面もあったようです。
笹川氏は小学校時代「川端康成」と同級生で、ゼイ分分面倒を見たようだ。川端氏は早く両親を亡くし苦労していた。
笹川氏は自家用飛行機でイタリアに行き、ムッソリーニに会っている、これが誤解され、三国同盟推進者として疑われた。
戦後、戦争犯罪者を救うため「白菊遺族会」を設立し、戦犯の早期釈放や、戦犯家族の生活支援を行った。
笹川氏の世界は一つ原点は、神武天皇が大和橿原に都を定めた際に「六合(国の内)を兼ねてもって国を開き、八紘(あめのした)を撩いて宇(家)とせんと、またよからずや」とあり、それを敷衍すれば世界の人々は屋根の下に住むによる。
競艇で儲けた金は、後進国の発展に寄与し、小学校を数多くたてた。笹川の活動は個人的なもので、一部から言われるような売名行為や自己顕示欲ではなかった。
笹川氏の生き方には、「情に生きるには、利に聡くなければならない」がベースなようで、貧鉱者などの面倒を見たようです。「人間の価値は棺を蓋いて事定まる」が遺言です。
C氏(抜粋)
・・・良し悪しは別にしてこの世界(吟剣詩舞道連盟)は笹川良一さんが、それまでばらばらであったこの世界を統一したと言う功績があり、その当時決められたこと(会詩にあります・・・吟により「心身の鍛錬」「礼節」「世界一家」を確立して人の道(倫)を追求する・・・)ということを、所謂「吟道」を追求する前提に成り立っていると言うことだと思います。
一方、「吟を詠う」と言う一面からコンクールで見ますと、クラウンレコードのコンクールは「詠い方、態度(外見を含み)等」連盟に近くキングレコードのそれは歌謡曲と一体化した所謂「吟詠歌謡」もあり、また、吟詠もかなり自由に詠ってもいいというようになっています。
そのほか一寸忘れましたが、広島の宗家の娘さんですが、吟詠をいろいろな音楽とコラボレーションして詠っている方もいます。2年ほど前に朝日新聞のコラム「人」で照会されていたと思います。・・・